夢野久作


「ドグラ・マグラ」(上/角川文庫)

「ドグラ・マグラ」は、昭和10年1月、1500枚の書き下ろし作品として、松柏館書店から自費出版された。
<日本一幻魔怪奇の本格探偵小説><日本探偵小説界の最高峰><幻怪、妖麗、グロテスク、エロテイシズムの極>とうたった宣伝文句は、読書界の大きな話題を読んだが、常人の頭では考えられぬ、余りに奇抜な内容のため、毀誉褒貶が相半ばし、今日にいたるも変わらない。
<これを書くために生きてきた>と著者みずから語り、十余年の歳月をかけた推敲によって完成された内容は、狂人の書いた推理小説という、異常な状況設定の中に、著者の思想、知識を集大成する。これを読む者は、一度は精神に異常をきたすと伝えられる、一大奇書。

 以上は裏表紙の引用なんですが、これ内容の口蓋じゃなく、作品の出で立ちを説明してます。ホントどう表現していいのか分からない作品で、この裏表紙の説明すら正確なのかどうか怪しいです。特に『狂人の書いた推理小説』って部分にそうなのか?と疑問が沸きます。

 再読です。とりあえず上巻を読了。合理的な解釈は可能なんでしょうか。別に現行科学に則してなくても構わない、作品世界観内での合理的解釈は見出せるのか。

 この作品は全然視点が切れないですね。どこかで何かが入れ替わってるんじゃないのかという推測で再読を開始しましたが、そんな隙が見当たらない。フロイトの著書は全てが連鎖してるので否定するなら全否定するしかないと言われますが、この「ドグラ・マグラ」も非合理を非合理として丸飲みするしかないのかという気がしてきた。

 もう一つ想定してみたのが、この「ドグラ・マグラ」の主人公、京極夏彦「狂骨の夢」の某登場人物が人の顔を見分けられない病気だったのと逆パターンで、同じ人物を正木博士と若林博士の二人に捉えてるんじゃないのかという可能性(イニシャルがMとWなんてのも怪しい)。が、これも再読してる途中で無理臭い解釈だなあという感じに。

 読む者が一度は精神に異常をきたすと言われる作品ですが、それが不安で読んでない人も、僕がこの通りなので安心して読んでみて下さい裕香たん裕香たん裕香たんハアハア。

 下巻に持ち越します。

(20030207)

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「ドグラ・マグラ」(下/角川文庫)

 えー、結局分かりませんでした。作者が何か意図を仕掛けてるのかすら分からないので、真剣に『答え』を考えようという気にならないってものあるんですが。

 とりあえず、以下の反転部分はこうだったら面白いなあというレベルの想像/妄想になります。

 この作品においてアリとされているのが、作中で『心理遺伝』という言葉で言い表わされている『記憶の継承』。

 ラストにおいて私が自分自身を呉一郎と認識しますが、果して本当にそうなのか。僕なりの妄想としては、私とは呉一郎の記憶を持っているけど呉一郎ではない存在、つまり呉一郎の子供ではないかと思ってます。そしてその子供はまだ胎児で、母親のお腹の中で進化の歴史を辿りながらその映像を見続けている最中。というか一世代前の一郎の記憶まで来てるので、もう生まれる直前あたりで。

 七号室、とは子宮の中。ブーンという響きは母親の心臓の音。六号室からの語りかけは、母親がお腹に手をあてて生まれてくる子供へと話し掛けているシチュエーション。つまり母親は呉モヨ子。

 ともすれば、モヨ子も妊娠していながらいま死にかけてる瞬間なのかも知れない。最後に私が思い浮かべる何人かの顔の、その最後に呉青秀がニヤリとする瞬間があります。これは青秀ではなく一郎で、モヨ子に向かって殺しにかかってきた時の顔。その記憶をモヨ子の子でもある私が見ている。そう捉えれれば、

 『胎児よ 胎児よ なぜ躍る 母親の心がわかって おそろしいのか』

 この巻頭歌にもどうにか繋げるコトもできそうです。

 とまあ、これはかなり穴のある妄想ですな。

 最後に余談になりますが、森博嗣はこの「ドグラ・マグラ」を理解したと語っていて、同じ構造で「心の法則(「まどろみ消去」収録)」を執筆したそうです。なので、「心の法則」を理解出来れば森流のドグラマグラ解釈も理解できるっぽい。が、むしろ「心の法則」の方がこれよりも更に分からん。ちくしょー。

(20030325)


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