海野十三


●「深夜の市長」(講談社大衆文学館)

深夜、急激に変容する大都市新興地区が帯びる迷宮感覚。東京を思わせるTという大都市。夜ともなると昼間とは全く別個の存在となり、ごく少数の人しか知らない不思議な都市と化す。その闇と迷路の暗黒を支配するのが「深夜の市長」。昼間の市長と市議会の対立するなか、次々と起こる怪事件。解決しようと深夜の街をかけまわる奇妙な男-怪人深夜の市長の正体は!?

 海野十三の作品はこれが初めてです。作者の読み方、「うみのじゅうぞう」だと思ってたぐらいだし(ホントは「うんのじゅうざ」と読みます)。

 まだ読み始めたばかりです。「深夜の市長」ってタイトル、実にミステリらしいです。「深夜プラス1」なんてタイトルの作品もあったっけなあ等と考えながら、どんな内容かあれこれ想像していたんですが、そんな折、帯の背表紙に書いてあった文章が目にとまりました。

怪人深夜の市長の正体を探る異色作。

 怪人。どうも、怪人らしい。どうやら「深夜の市長」というのは「黄金仮面」や「二十面相」のようなニックネームのようだとここで判明。

(20010504)

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 読了。感想としては、雰囲気に浸ることができたの一言。ミステリと呼ぶよりも探偵小説ですね。トリック的な面でのオチや明確な解決を求めるのではなく、古めかしい空間を楽しむ感じが味わえました。「アハハハ」なんて笑いの表記方法など。

 全キャラ変てこりんな連中ばかりなんですが、とりわけ気に入ったのが速水輪太郎。科学者。当時の探偵小説作風など把握していない僕にしてみると、作者海野はどこまでマジなのか分からないです。なのでこいつは意図されたふざけキャラなのか、それとも天然なのか、不明。多分後者と見てますが。

(20010506)


●「赤外線男」(春陽文庫)

盗まれた脳髄/電気看板の神経/幸運の黒子/夜泣き鉄骨/三角形の恐怖/西湖の屍人/赤外線男 以上7編収録 

 これは、やはり執筆された時代の雰囲気に浸るのが僕的にベストの読み方という感じです。このアナクロ感覚がイイ感じですね。何か紙芝居の語り的な物語運びなんてのもイイし、科学的な裏付けに関しても、どことなくハッタリかましてそうな内容です。

 タイトルも、十数年前ならベタな印象を持ったであろう気がしますが、時代が二周りも三周りも巡った今では、このセンスが逆にとても好ましいです。

 ここでいきなりですが、以下青部分、タイトーのゲームミュージックチームZUNTATAのアルバム「nouvelle vague」から引用。

 クラシカルなものとして定着してる多くの芸術は、その誕生時には、いびつな捉え方をされていた。「バロック」や「歌舞伎」という聞き慣れた言葉ですら、その意味は“異端”を示すものだった。
 だからといって(ある意味で異端の)、VGMもいずれはポピュラーな音楽として認知されるということを期待しているわけではない。いや、むしろそうはなりたくない。60年代、トリュフォーやゴダールといった作家の映像を初めて見た時の戸惑いや驚きを、SFXや様々な映像テクニックに慣れ親しでる現代人にそのまま求めるのは無理だし、ジュール・ベルヌの「月世界旅行」や「海底2万里」を今の子供達に読ませても、当時程のときめきを感じさせることは不可能だろう。
 その意味では“ヌーベルヴァーグ”とは賞味期限付きの禁断のお菓子なのだ。それを、時代を超えて食したいと思うのならば、『定型』という保存料を加えなければならない。そして、その瞬間に「ヌーベルヴァーグ」という呼称は次なるものへと逃げてゆくのである。
時代は変わっても人間の本質は変わらない、なんて誰が言ったのだろう? 誰とも違わない本質なんてつまらない。定型化して解釈付きの芸術となるよりも、二流のヌーベルヴァーグを選択したいのだ。

「泣きたい者は泣き、笑いたい者は笑え。」(ジャック・ドゥミ)

 これは僕としても、とても理解出来る感じですね。だから、乱歩にしろ海野にしろ、きっとリアルタイムで触れるコトのできた人達程ドキドキワクワクしながら楽しめてるとは言い難いと思います。古典的な作品を今日でも手にするコトができるのは、嬉しいと同時に(当時の読者が)羨ましい。そんな気持ちになります。

(2001.11.27)


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