土屋賢二


●「棚から哲学」(文春文庫)

 この人の本は紹介が難しいですね。とにかく文章が独特で面白い。読み手がどれだけ拾えるかにかかってる文章です。土屋賢二の文章に関しては、旧サイトで「われ笑う、ゆえにわれあり」の紹介で書き切った感じなのでそれを持ってきてみます。決して手抜きではない。 

 この本は紹介したくないんですよ、実は。僕のギャグ、色々ここからパクってるから。とにかく笑いの感性に関してはダントツ、最前線ですね。この凄まじいまでの笑いの密度は何なのか。土屋賢二を僕に教えてくれたM橋氏よ、ありがとう。これを初めて読んだ時、余りのカルチャーショックにこの話術どうにか実生活に取り入れる事が出来ないだろうかと考えました。実際ちょっとずつ会話などに応用してみたりしたんですが、結果は単なるイヤミな男扱いでした。何故この面白さが分からないんだ。

 土屋賢二、本業は哲学者で大学教授なんですが、物事に対する従来の見方や切り口を変えて、逆説や言葉遊びで笑いに還元してしまうあたりがやっぱ既成概念に捕われない哲学者の懐疑的思考だなと思います。

 笑いとして巧妙にオブラートされつつも、実は本質を突いていたりするのもあって、この本では「愛ってなんぼのものであるか?」なんて上質の至り。男の内面を評価しているような事を言ってる女性でも、その実外見で内面を決定しているコトをそれはもう徹底的に、くどいぐらいに、逃げ道を完全に塞ぐ論理で述べています。例えば、

《外見のよい男》1.おおらかな 2.繊細な 3.ファッションセンスのいい 4.いい人

《外見の悪い男》1.無神経な 2.神経質な 3.かっこばかり気をつかう 4.人はいい

 という具合に、同じ性格だろうと結局見た目で相手の評価が変わるなど。ここから始まり、「でももしかしたらホントに内面のみのこだわる女性がいるかも。しかし...」と、可能性を一つ一つ潰して論破していく様は壮絶です。鬼です。

 僕が思ったのは、この外見で中身が決まるってのは同性に関しては逆になるなあってコト。女が女を「にぎやかで楽しい」とか「デリケート」とか好評価する時ってたいてい自分と同程度以下の人だったりするでしょ、ルックスが。自分より美人にはイイ評価しないよなあ。ていうか、何とかして些末な欠点を探し出してそこを針小棒大に叩くし。「同性に評価されないのはステータスのひとつ」ってのはコレなのね。

 ところで僕、なるべくおおらかな人間でいようとムカつく事があってもグっと押さえていたら「鈍感」だの言われ、そこで「鈍感ではない。ムカつきながらも堪えて流していただけでホントはデリケートなんだ」と分かってもらうべく、イラついた時には態度に出すようにし始めたら今度は「何でも気にする」との扱い。異性から。これで僕のルックス、想像ついたでしょうか。

 とまあこんな感じ。エッセイ集なのでどの作品からでも入れるし、文章そのものが面白いので、別にこの「棚から哲学」単品として特筆すべき要素はありません。どのエッセイ集もアベレージ異様に高いです。超オススメ。

(20020918)


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