筒井康隆


「文学部唯野教授」(岩波書店同時代ライブラリー)

 筒井もあれこれ様々な作品を出してるんですが、ほとんどネタの重複がないあたりに天才を感じます。何を代表作と呼ぶのか難しい作家です。タイトルの知名度では「時をかける少女」でしょうか。

 この「文学部唯野教授」は批評史、そして各批評形体の穴を洗いざらいしてる作品。唯野教授の日常と講議の2点から構成されるストーリーですが、この講議パートが「批評史/批評の批評」に該当しててこの作品のキモです。

 筒井康隆自身が自作に受けた批評に対する怒りが批評というものへの対策/興味に繋がり、その結果生み出された作品で、感想系サイト運営者は必読(僕が読んだの10年前ですが)。自分が論理的で説得力のある批評/評論をアップしてるとド勘違いしてるヤツには特に読んでもらいたい。サイトに限らず、これを読むと自分の「一つの/最初の/直感的な考え」に対して多角的なアンチテーゼを設け、自論の客観性を意識するようになれます。

 この作品に脱構築というのが出てきてます。主に大型掲示板がその性質上そうした批評の巣窟になってるのですが、『脱構築による罵倒』ってのはまるで説得力を感じませんな。部分を全体にすり替えての叩き。「Aだからダメ」という批評が出る一方で、「B(Aと正反対の属性)だからダメ」という批評も出る。とにかくダメ。基準も何もない。

 こうした脱構築は匿名に守られてる場でのみ通用するのですが、たまに、サイト運営者(個人が特定できる場)にも見られるのが痛い。Aだからダメと言ってた人間が、Bだから(Aと正反対の属性)ダメと言ったり、Aを内包する他の作品を絶賛したり。その振る舞いが、自分で自分の批評/感想、しいては発言全ての説得力を放棄してるコトになってるのに気付いてない。「Aだから」という理由を付けてあれだけの批評をしてたお前はどこに行ったのかという恥知らずっぷり。別に理由が理由になってないじゃん。もう喋るな。

 恐らく、そうした手合いは大型掲示板のノリに感化されて「毒舌面白い! オレもやろう」という心理フローがあるのかも知れない。が、繰り返すが脱構築による罵倒は匿名に守られてる場でのみ通用する。サイトという発言者が明確な場でやっても、基準(嗜好/主観)が一貫していないコトで自己矛盾に陥りてめえの首を絞める結果にしかならない。つまりいつの間にか、「オオカミが来たぞってお前が言ってもねえ」状態になります。

 そんな脱構築ですが、悪口としてアウトプットするのではなく、優しさやユーモアとして使えば良質のテキストになるのではないだろうか。

 ていうかこれは脱構築以前の批評の姿勢です。ハリーポッターを、ファンタジー作品の歴史を交えながらマジ批評して罵倒する大人は痛い。色々な架空設定知識(オタク的な知識)を交えながら本気で(←重要)悪態付いてるのを見ると、その発言者に宇宙を感じます。別にテキストに限らず、リアル世界の会話でも。

 優しさとユーモア、この「文学部唯野教授」を読んだ時にもそれが批評/感想のもっとも有効な手法ではないかと感じました。脱構築を罵倒として出すのではなく、ユーモアとして出す。この方法論を少しずつ取り入れようと意識し、それから10年が経ちました。

 僕はその結果、バレンタインデーに数時間に及ぶ無言電話を頂く人間になりました(今までのテキスト台無しのオチ)。

(20030216)


「朝のガスパール」(新潮文庫)

コンピューター・ゲーム『まぼろしの遊撃隊』に熱中する金剛商事常務貴野原の美貌の妻聡子は株の投資に失敗し、夫の全財産を抵当に、巨額の負債を作っていた。窮地の聡子を救うため、なんとTまぼろしの遊撃隊Uがやってきた! かくして負債取立代行のヤクザ達と兵士達の銃撃戦が始まる。
虚構の壁を超越し、無限の物語空間を達成し得たメタ・フィクションの金字塔。

 パソコン通信や投書による読者参加という試みによって作り上げられた作品。今日日ではネットも普及してるので、理解の容易なシチュエーションだと思います。

 当時であってもそれほど目新しい試みであるとは思えないのですが、そこは筒井です。はっきりと『読者参加』というものの答えを最初から見抜いています。どういう意見が出るかを事前に想定してて、それを作品の着地に回収出来るような話をスタートさせています。

 具体的には、『どんなものにもケチを付けるヤツは存在する』。これまでの作品であらゆる批評を受け、ちゃちい大衆心理を知り尽してるが故の『事象のエスカレートの読み』。罵倒が出るのを前提に、その罵倒すら作品の構成に奉仕させる。ジョースターの血統が私を天国に押し上げるように。

 こうした大衆心理を見抜き長いスパンでの世の中の流れを見極め数カ月前から『今』どうなるのか予想できる人間はいます。筒井も勿論その一人で、「朝のガスパール」は「文学部唯野教授」とはまた別のやり方で、悪意すら利用しきった爽快な作品。

 んで、ここからは余談、単なる妄想話なんですが、冨樫義博「ハンター×ハンター」の「GI編」は、ひょっとしたらこの『読者の反応』ギミックを応用してるんじゃないのかと感じました。読者からの罵倒を利用するのではなく、展開予想ファンレターなんかを利用しようとしてるんじゃないのかと。

 事前にある程度カードとその内容を公開して、読者から『このカードでこうやれば何々ですね』という反応を待つ。冨樫自身が気付かなかった慧眼なアイデアがあればこっそり作品に反映させる。言ってみれば読者総員ネタ出し用アシスタント。

 「GI編」が「ガスパール」応用なのかはともかく、冨樫が筒井作品に接しているかと言えば、「レベルE」のネーミングやドタバタSFノリ/「幽遊白書」の蔵馬VS海藤での「残像に口紅を」的ギミック等からきっと接点はあると思ってます。

(20030219)


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