トマス・ハリス


●「レッド・ドラゴン」(上・下/ハヤカワ文庫)

満月の夜に連続して起きた一家惨殺事件は、全米を恐怖の底に叩き込んだ。10人が残酷な方法で殺されたうえ、犯行現場では不気味な死の儀式が行なわれていたのだ。
かつて異常犯罪の捜査で目ざましい業績をあげた元FBI捜査官グレアムは、次の満月までに犯人を捕らえるべく捜査を開始。だが新聞の報道でグレアムの存在を知った犯人が彼をつけ狙いはじめた!

 いわゆる「レクター三部作」と呼ばれる作品の一。作品構成の骨格は、殺人鬼ダラハイドVS元FBI捜査官グレアムで、追われる者とそれを追い詰める者、それぞれの視点で描かれています。いま殺人鬼ダラハイドなどと犯人バラしましたが、サイコスリラーはそこがキモじゃないので構わないだろう。

 このダラハイドが主人公と言ってもいいかも。顔にコンプレックスを持った男という一見どこにでもある人物像ですが、彼が、自身をウィリアム・ブレイクの<大いなる赤き竜>と重ね、如何に暴走していくか、その辺の造り込みが流石。気の触れた人間を描くのは非常に難しいです。そうなるまでの理由がどうとでも付けられるので、作者の独り善がりな説得力に乏しい人物造型になるコトが多々あります。この作品ではそんな問題はクリア。

 追う側のグレアム、幾つかの手掛かりから自身を犯人と同化させてその心理を探り、ダラハイドへと近づいていくのですが、こちらは言ってみれば裏主人公。殺人鬼を追うという善玉的立ち場でありながら裏という印象です。

 ヒロイン的存在の設定も絶妙です。容姿にコンプレックスを持つダラハイドに好意を寄せる盲目の女性。このシチュエーションだけでも切ないです。展開がサスペンスフルで、ストーリーの完成度も高く、三部作中一番好きな作品です。

『人は観るものしか見えないし、観るものはすでに心の中にあるものばかりである』

(20021117)


「羊たちの沈黙」(新潮文庫)

若い女性を殺してはその皮膚を剥ぎとる連続殺人犯“バッファロゥ・ビル”。FBIは懸命に犯人を追うが、捜査は完全に手詰まりになっていた。事態を打開すべく新たに任命されたのが女性訓練生スターリング。彼女は九人の患者を殺害して収監されている元精神科医レクター博士の示唆をもとに見えざる殺人犯の影に迫るが......。

 FBI訓練生クラリス・スターリングVS連続殺人犯バッファロゥ・ビル。

 前作「レッド・ドラゴン」同様『追う者VS追われる者』の構図になっていますが、前作が殺人鬼が主人公だったのに対して、こちらはFBI側のクラリスが主人公という形です。

 「レッド・ドラゴン」で殺人鬼を追っていたグレアムが、殺人者の心理を理解できる素質を持つ、ある種天才肌の捜査官なのに対して、クラリスは極めて一般的な、平均的な「追う者」という感じです。プロファイリングという統計学問を駆使しての捜査で、後天的な、学習して得た力で追跡する辺りもそんな印象を持ちます。

 後半には三部作ラストに向けてレクターを野放しにする演出があります。この脱獄シーンや幾度か行なわれるクラリスとの面談などのインパクトが強く、「羊たちの沈黙」と言えばレクターばかりが取り上げられている感じ。

(20021127)


「ハンニバル」(上・下/新潮文庫)

あの血みどろの逃亡劇から7年---。FBI特別捜査官となったクラリスは、麻薬組織との銃撃戦をめぐって司法省やマスコミから糾弾され、窮地に立たされる。そこに届いた藤色の封筒。しなやかな手書きの文字は、追伸にこう記していた。「いまも羊たちの悲鳴が聞こえるかどうか、それを教えたまえ」......。だが、欧州で安穏な生活を送るこの差出人には、仮借なき復讐の策謀が迫っていた。

※以下、ネタバレを含みます。

 『世紀はかくも壮絶に幕を閉じる』という帯が今尚記憶に残るレクター三部作ファイナル「ハンニバル」です。発売時には凄まじい平積み状態だったのも印象的ですな。んで、内容なんですが、これは非常に期待外れな作品でした。

 1作目ではグレアムVSダラハイド、2作目ではクラリスVSバッファロゥ・ビル、そしていよいよクロフォードVSレクターだろうと考えていたのでまずそこでコケました。最終的にもレクター勝利というラストに着地したりと、こういった方向に持ってくるとは思ってませんでした。

 『完全無欠なレクターがどんな敗北を見せるか』、読者が想定するこの枠の中で予想外の展開を見せて欲しかった。枠自体をとっぱらっての裏切りは、何というか、例えるならミステリだと思ってたらホラーだったような、釈然としないものが残りますな。

 「レッド・ドラゴン」でグレアムが捜査官(法的/社会的に正義)、ダラハイドが殺人鬼(法的/社会的に悪)というポジションを取り、そしてレクターはダラハイドに近い立ち場にいながらも実際は善悪を超越した存在になっている。そんな善悪を超えた存在が最終的に着地するのが、愛。超人も結局そこに落ち着くしかないのかなあ。レクター勝利の物語ですが、それでいて全体的にレクターの行動原理が一般的になり、ちゃっちくなった気がしてそこもイヤでした。

 「羊たちの沈黙」以降色々なサイコものが書かれ、様々なレクターのフォロワーキャラクターが生まれ、ありとあらゆるラストを向かえてきたため、ネタ的に困ったのかも知れませんが。

 というワケで、今心配なのは、トマス・ハリスファンであると思われる板垣恵介が、この作品に感化されて、「バキ」を範馬勇次郎が息子に勝利して終わりなんてラストにしたらどうしようというコトです。予想は裏切ってるけど期待にも応えていない感じ。枠内で裏切ってくれ。

(20021127)


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