竹本健治
<竹本健治のココが好きその1>
『ほかのあらゆる可能性がすべてだめとなったら、いかに有りそうもないことでも、残ったものが真実なのだ。』(シャーロック・ホームズ)
竹本健治は考え方が非常に慎重な人です。徹底的な不可知論者なんだと思います。
ミステリでは箴言になっている言葉に上記のホームズの名台詞があります。カッコイイしその通りの内容なので、多くのミステリ作家が自作の探偵に似たようなコトを言わせています。が、竹本健治はこの定義/前提を受け入れるコトが出来ないんじゃないかと思います。
>勿論、人間がそういうトンネル効果でもって壁を通り抜けるという場合には、その確率はほとんど零に近いほどの小さなものになるとしても、やはり確率的に起こり得ることなんですよ。(中略)どれぐらいの確率で通り抜けられるかというと、(中略)1のあとに0が10の24乗個くっついた数字だけの回数壁にぶつかってゆけば、そのうち1回だけは通りぬけられるということなんですよね。(「匣の中の失楽」より)
>たまたまその場に多量の宇宙線が降りそそぎ、それが一カ所で相互作用してたまたまナイフの形になった。同じことがたまたま十回ほど同時に起こり、Aの体を傷つけたあと、再び分散して消え去った。(「閉じ箱」より)
という具合に、密室殺人の真相の可能性をこんなトコロまで考慮。ホームズの言葉でいう『あらゆる可能性』という部分は設定不可能というトコロから考えています。あらゆるとか言ってもあらゆってないだろ、という感じで。この人は生半可な気持ちで『絶対』なんて言葉を使わないタイプだと思います。もうそれだけで好感度高いです。
こうした感じで定義の不可能性が煮詰まると、行き着くトコロ探偵の突き詰める真相はそれが真実であるとは証明できないコトになります。ミステリは作者の都合で決まる小説で、決して論理的ではない。その事実に至ったが故に、どんなミステリを書こうと作者自身納得の行かない詭弁になるコトから一時期離れてたんじゃないのかなあ。このフェアっぷりが好きです。
この辺は解決できない問題に思えますね。作者が決めたからそれが真相、と開き直るしかないんじゃないでしょうか。どんな解決も詭弁に過ぎないんですが、その詭弁を如何に美しく見せるかがポイントに感じます。連城三紀彦作品みたいに。
<竹本健治のココが好きその2>
徹底的に物事を考え抜いてから言葉に出している人です。故に発言に重みがあります。
>最後に何が残るんだろうと作品の評価に関して相対化を続けていくと、結局好きか嫌いかしか自分の中で残らないんですよ。(綾辻行人対談集「セッション」より)
このスタンスがイイ。「好きか嫌いかで決める」ってのは世の中にはホントにその言葉理解して喋っているのか?と思わせる人も多いんですが、竹本健治はひたすら考え抜いてアウトプットしてますね。
「クー」(ハルキ文庫)の解説で友成純一が竹本健治を、寡黙で一方的に話を聞きながら頭の中ではあれこれ考えているタイプの男と語っています。何となく、勘ですが、竹本健治は自分の発言を後々修正する恥ずかしさをも知っていそうです。だから、脊髄反射トークを避け、慎重に考えてから言葉にする。数学者的で素敵です。
<竹本健治のココが好きその3>
サブカルに詳しそうで、アンテナが高い人に思えます。そしてそれらに対してもまた冷静な視点で接している印象を受けます。
以前何かの雑誌の漫画ベストのアンケートで「グラップラー刃牙」と「餓狼伝」を挙げていたのが嬉しかったです。どの小説だったか忘れたけど、竹本作品にちょい役でクレハだったかシノギだったかそんな名前の人が出た記憶があります。これは刃牙から取った名前なんでしょうかね。
●「匣の中の失楽」(講談社ノベルス)
デビュー作で22歳の時に執筆したそうです。凄すぎ。構造の幻惑感、そして信じられないぐらいの衒学の嵐が最高です。ありとあらゆるコトやってます。全体を俯瞰すれば焦点がまるでない衒学なんですが、その衒学のラッシュ自体がもう素敵極めてます。
自己同一性を疑ったりして世界の謎にアプローチするのが竹本健治作品の一つの持ち味で、この作品でも勿論それは感じられます。空々しい会話も別に構わないです。登場人物のネーミングからして元ネタ人形ですから。
●「囲碁殺人事件」「将棋殺人事件」「トランプ殺人事件」(角川文庫)
知能指数208の天才棋士牧場智久、そのミステリマニアの姉牧場典子、そしてその恋人の大脳生理学者須藤信一郎のトリオが活躍するゲーム3部作。骨格は極めてオーソドックスなミステリなので驚きます。
これはある意味ネタバレになるんですが、探偵役が須藤ってのがツボ。天才牧場がワトソン役ですよ。萌絵ー。
●「殺人ライブへようこそ」(徳間文庫)
武藤類子というキャラクターが活躍するミステリですが、シリーズ化するコトなくこの類子は別シリーズにて智久のワトソン役として延命措置が取られました。
●「凶区の爪」「妖霧の舌」「緑衣の牙」「風刃迷宮」(光文社文庫)
何故かタッグを組んだ「智久・ルイ子」シリーズです。「凶区の爪」が一筋縄でいかない内容になってます。結果的にそうなったのか、当初から意図したのか、島田荘司作品を思わせる偶然の切り抜きが込められています。トリックの成立ではない部分で。ああ、でも竹本健治のミステリ観から言ってこのネタは出てきてもおかしくないものでした。
●「狂い壁狂い窓」(角川文庫)
狂気を描いた作品で、竹本健治のベスト1に挙げる人も結構います。実はよく分からなかったので、折を見て再読したいです。
●「腐蝕」(角川ホラー文庫)
SFなんですが、「腐蝕の惑星」から改題して角川ホラー文庫入り。ほぼど真ん中で世界観が変わります。前半は自己同一性の不確実性を扱い、後半は世界の謎を解き明かすという、竹本エッセンス全開の作品です。
●「カケスはカケスの森」(徳間文庫)
二人称で紡がれる、幻想的な物語です。ミステリなんですが、オチはおまけぐらいに思えます。二人称で進むが故の、作品全体に漂う不安感が味です。過程がメインディッシュです。
●「ウロボロスの偽書」「ウロボロスの基礎論」(講談社)
虚実ない交ぜの内容で、竹本健治に関わる作家が出てきます。暴露本のノリが楽しいです。「基礎論」に至っては原稿を登場する作家に無理矢理かかせてるようにも思えますし、そうして集まった原稿がかなり最悪です。法月綸太郎と麻耶雄嵩が特にヤバいです。
あと、神の存在について語ってる章があったのですが、これが『どこまで続くのコレ?』というぐらい長くて途中でハイになって笑い出してしまいました。吹雪の雪山で絶望的な状態に身を置かれ、壊れて笑い出す人間の気持ちが分かりました。
「読者を笑わせる」という狙いで書いたんだと思いますが、こうした極限心理を読者に与えた上での笑いを演出出来る作家は他にいません。こんなコト書いておいて狙ってなかったらどうしよう。
メタ作品、とりわけこうした方向で作家の周辺情報を織り込んだものは面白いしニーズも高そうです。非常に同人的な発想に思えるのですが、サブカルへのアンテナの高さ故の着想でしょう。ネットが普及してる今の時代に初めてもインパクトはなさそうです。
●「閉じ箱」(角川ノベルス)
氷雨降る林には/陥穽/けむりは血の色/美紀、自らを捜したまえ/緑の誘い/夜は訪れぬうちに闇/月の下の鏡のような犯罪/閉じ箱/恐怖/七色の犯罪のための絵本(7編)/実験/闇に用いる力学/跫音/仮面たち、踊れ
短編集で、密度の濃い1冊です。やっぱ表題作の「閉じ箱」が好きなんですが、これは何だか殆どエッセンスのみの作品で、小説としては例外的な位置にありそうです。
全体として自分探しを扱ったものが多いですね。竹本健治の興味の方向性が伺えます。「七色の犯罪のための絵本」がショートショートなんですが、これだけのものを短い中でまとめてる力量に感動します。
●「殺戮のための超・絶・技・巧」「タンブ−ラの人形つかい」「兇殺のミッシング・リンク」「魔の四面体の悪霊」(ハルキ文庫)
これはSFで「パーミリオンのネコ」シリーズと銘打たれています。ネコと呼ばれる凄腕スナイパーと冴えない三十男ノイズのコンビが繰り広げるスペースオペラ。
超能力者との駆け引きが、相手の能力を解き明かす意味合いからミステリチックな楽しみ方が出来ます。「タンブ−ラの人形つかい」の強敵の能力の対処法は感動します。ジャックハンマーもこれ使ってました。
「魔の四面体の悪霊」は短編集で、ヒロインが酷い目にあってます。主人公いじめは「クー」の方が凄いんですが。
●「ク−」「鏡面のクー」(ハルキ文庫)
SFというよりも、主人公の女性/クーがひたすら性的に虐待を受けるシーンが強烈な作品です。他よく覚えてないです。ホントこれは官能小説です。サド御用達の。サドって僕じゃん。
続編の「鏡面のクー」では殺人ホログラムでうら若き少女が滅茶苦茶にされるシーンなどもあり、異常シチュエーションもエスカレート。クーも主人公とは思えない姿で再登場します。絶望的な恐怖を感じさせるシチュエーションが上手いです。
●「闇に用いる力学[赤気篇]」(光文社)
あとがきを読んだ感じでは、今までは個人的な興味を扱っていたけどこの作品では集団の狂気へと興味が移ってきててそれを小説に、という着想みたいです。ただ、あとがきにはこんなコトも書いてあります。
>いや、いっそのこと、完全な黙殺に遭ってしまえば、このパラノ的な構えを強要する、途轍もなくしんどい仕事から解放されるのではないか
達観してる印象もある人なんですが、やっぱリターンが欲しいと言ったトコロでしょうか。「セッション」での綾辻行人との対談でも「海に石を投げているような感覚」という言葉が出てますし。
この「赤気編」では、様々な新興宗教が出てくるあたりでもうヤバそうで期待できます。京極夏彦「塗仏の宴」でも複数の新興宗教が跋扈するシチュエーションを扱っていましたが、それとは当然違う方向のテーマでしょうから。
(20030113)
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