高木彬光


●「人形はなぜ殺される」(角川文庫)

衆人環視の中で、鍵のかかったガラス箱から蒸発してしまった“人形の首”。その直後、突発した殺人事件の現場には、無惨な首なし死体と行方不明の人形の首が転がっていた。名探偵、神津恭介への悪魔からの挑戦状か。
殺人を犯す前に、必ず残酷な人形劇で殺人予告をするという大胆不敵な凶悪犯の正体は?

 パズルです。純然たるパズル。高木彬光を読んだのはこの作品が初です。マジシャンが登場する作品ではカーター・ディクスンの「爬虫類館の殺人」が自分としては記憶に新しいですが、この作品にも魔術師/手品といったスパイスが全編に満ちていました。

 作品が執筆された時代の作風なのか、横溝正史作品と共通した臭いを感じました。高木彬光作品の代表的な探偵であると思われる神津恭介と接したのももちろん初になりますが、やぼったい金田一耕助に比べて、神津はスマートな印象。髪型はオールバックでスーツを着こなし煙草片手にポーズを決めてるキャラです、そんな描写があったかどうかはさておき。有栖川作品の火村っぽいイメージです。不衛生で長髪ボサボサの金田一はどっちかと言うと江神です。

あ! 今ので江神ファン敵に回しましたヨ!

 僕、有栖川作品(特に火村モノ)はトリックよりも「台詞」に惚れ込む部分が多いんですが、高木彬光もそんな感じで台詞に「そうなんだよ、それそれ」と頷ける部分が幾つかありました。

「僕がその場所にいあわせたならともかく、君の話だけをきいたんでは......君だって、その楽屋にずっといあわしたわけじゃあないんだし......」(神津恭介/P32より)

 この自信がイイ。同じ場所と時間を共有したなら、確実に自分の方がより多くの情報をそこから収集できるという自信がイイ。『気付く/拾う』、これこそ探偵の条件です。

「神津さん、むかしの歌舞伎には、よくこんなせりふが出て来ますよ。わけのわからぬ殿様が、家来と腰元をつかまえて、不義を働いているだろうと責めるんです。
『それとも不義を致しておらぬという、何ぞたしかな証拠があるか
こんな馬鹿なせりふは、今の世の中では通用しませんね。不義をいたしているという、はっきりした証拠を見せられなかったら、どんな人間だって、恐れ入りました---とはいわないでしょう 」(布施哲夫/P237より)

 ここもイイ(神津の台詞じゃないけど)。ディベートの基本「白いカラス」にも通じるし、それはもちろん「推定無罪」の鉄則です。

白いカラス...「白いカラスはこの世に存在しない」という命題は証明できない。一万羽のカラスを調べて白いカラスがいなかったことを証明しても、一万一羽目が白いかも知れない。日本中のカラスを調べたとしても、アメリカにはいるかも知れない。世界中調べていなかったとしても、明日生まれるかも知れない。以上より、存在する/しないを論議する場合、その立証責任は「存在する」を主張する側にある。

推定無罪...法廷に於いて、被告は「果して有罪か無罪か」という灰色の状態から始まるのではなく、完全に無罪(白)と推定された状態から裁判はスタート。それを検察側が物的証拠を積み重ねる事で有罪(黒)へと傾けていく裁判スタイル。内容は上記の白いカラス云々と同じコト。

 えー、かなり脱線しました。作品のストーリー部分での感想としては、面白かったんですが、非常に説明しにくいです。緻密な計画犯罪ですので、パズルものです。ああ、何だかこの言い回し正確に伝えてないような。緻密で、用意周到な計画犯罪、と言った方がいいでしょうか。初めて読んだ神津恭介モノですが、恐らく神津恭介がここまで苦戦した敵(犯人)はそういないのではないかと思われます。

(20020503)

 


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