殊能将之


●「ハサミ男」(講談社ノベルス)

連続美少女殺人事件。死体ののどに突き立てられたハサミ。その残虐性から「ハサミ男」と名づけられたシリアル・キラーが、自分の犯行を真似た第三の殺人の真犯人を探す羽目に......。殺人願望と自殺願望という狂気の狭間から、冷徹な眼で、人の心の闇を抉るハサミ男。

 殊能デビュー作。日下三蔵と法月倫太郎の薦める本は自分には面白いのが多いと思っていて、これは帯推薦が法月だったので購入。デビュー作とは思えない程こなれた感じを受けた作品です。

 構成/主人公の設定などはもちろんですが、途中に幾度となく挿入されるハサミ男の自殺の試みのシーンが真剣に死にたがっているシリアスな描写のはずなのに、どことなくコミカルな雰囲気を漂わせています。この辺の膨らみのもたせ方とかが非常に新人離れしてると感じました。

 現代的なテーマを盛り込んで読み手の理解補助と興味を引きつつ、当然のごとく着地点はサプライズ。オススメです。


●「美濃牛」(講談社ノベルス)

 デビュー作があれほど面白かったので、期待に胸を膨らませ手にした当作ですが、読後の印象は信じられない程の凡作。おおまかな枠組みを設定し、あとはシステマティックに部品を詰め込んでハイいわゆる本格の出来上がり。

 自分の好みは変格なんだな、そんな風にすら思っていたんですが、3作目の「黒い仏」を読んで、殊能将之は多くの新人作家(簡単にいっぱいいっぱいになってネタが尽きる新人陣)とは異なり、非常に試みの高い人なのでは?と、作家への印象が変わりました。

 変わった上で、改めてこの作品を考えてみると、作者がやりたかったのは以下のように思えてきました。

蘊蓄小説のパロディ。

長大化の一途を辿る昨今のミステリに対する皮肉が込められた作品ではないのかと。しかも長い作品はおおかたが水増し型のペダントリィ。参考文献を片手に、誰でも幾らでも書ける。

 この「美濃牛」ではそのペダントリィの対象が、牛という微妙な選択。牛って。牛の蘊蓄をこれぞ本格とうんうん頷きながら読んでた読者を内心せせら笑ってたのじゃないかとも思えてきます。タチが悪いです。冒頭の作者の言葉がトドメです。

>たくさん引用が出てきますが、全部ちゃんと読んでるなんて思わないでください。


●「黒い仏」(講談社ノベルス)

 この辺までくると、かなり推理小説の歴史/積み重ねを踏まえた人向けの作品なんじゃないでしょうか。本当に(きっと)作者がやりたかったコトを拾えるのはミステリばっか読んでもはやオーソドックスな形態に飽きている人なんじゃないかと。ミステリ形態そのものへのパロディ的アプローチに思えます。普通に「推理小説=犯人当て」として読みたがってる読者はこんなの読まされてもワケが分かりません。推理小説入門ガイド等には絶対載せちゃいけない本です。

「このミステリーがすごい!2002年度版」、国内12位。

票入れるなって。凄くても。

 殊能将之は今後他の作家とは違ったものを求められる作家になりましたね。麻耶雄嵩と同様。なりましたって言うか、なっちゃいましたね。 

(20011223)


●「鏡の中は日曜日」(講談社ノベルス)

鎌倉に建つ梵貝荘は法螺貝を意味する歪な館。主は魔王と呼ばれる異端の仏文学者。一家の死が刻印された不穏な舞台で、深夜に招待客の弁護士が刺殺され、現場となった異形の階段には一万円札がばらまかれていた。眩暈と浮遊感に溢れ周到な仕掛けに満ちた世界に、あの名探偵が挑む。

 殊能作品というコトで、前作「黒い仏」の呪縛から何かしら斜めなものが含まれていそうだと構えて読んでしまうこのサガは何なのか。

 読んだ感想は、いわゆる新本格の系譜という感じで、極々純粋に楽しむことが出来ます。しかし何というかほら、この人は殊能将之ですから。穿ったものが含まれてるんじゃないのかとどうしても考えてしまいます。

 参考・引用文献に綾辻行人と「館シリーズ」がずらりと並べられています。作中に推理作家/鮎井郁介というキャラが出ていて、その執筆作品が『紅蓮荘事件』『空穂邸事件』『樹雨館事件』『紫光楼事件』『阿修羅寺事件』『梵貝荘事件』。鮎井郁介というネーミングは綾辻のもじりと思われるし、それを補強するかのような「館シリーズ」鮎井の作品群。

 なので、このネーミング部分が『参考』として使われてるのかと思いそうですが、きっとそれはカモフラージュで、実際に参考として使われてるのはトリックなんじゃないかと僕は思っています。綾辻、更には新本格勢が好んで使う叙述トリックの集大成というノリの作品に感じました。

 更に超斜めに穿った考えをスパークさせるなら、『作家によってはネタを薄めたり自己焼き直しで数冊にしてる方もおられますが、私はこの1冊でそれらを網羅してみました』ぐらいの挑発にすら思えてきます。ホント超穿った考えですが。

 もう一つこの作品に感じたのが、一般に流布してる『高尚と俗の線引き』への考え方です。

 坂口安吾の「不連続殺人事件」内の言葉、『彼の人間観察は犯罪心理という低い線で停止して、その線から先の無限の迷路へさまようことがないように、組み立てられているらしい。...だから奴には文学は書けないに対する探偵役/石動の意識を始め、『(女子高生の)ファッション』と『(フランス)文学』、『肉体/性的な美/魅力』と『精神性や知識/知性』。

 一般に『高尚』と考えられているものと『俗』と考えられているものの間に勝手に線を引き、自分はランクの高い方/高尚な側にいると偉そうにしてる人がいるけど、その辺どうなのですか的主張を感じました。

 ひょっとするとこの辺は、本格ミステリはかくあらねばならないという閉塞した考えに固執してる集団への殊能イズムの表明なのかも。執筆期間が分からないんですが、「黒い仏」に対して『本格ミステリと呼べないのでダメ』という感じの切り捨てた評価への返答にも思えてきます。

(20020307)

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 殊能将之本人のホームページにて、綾辻行人「館シリーズ」のどこを参考・引用文献として用いたのかについての表記らしきものがありました。しかし、それでも僕は、これも万一突っ込まれた時の逃げ道/カモフラージュと思っていますので(笑)。

(20020309)


「樒/榁」(講談社ノベルス)

天狗を目撃したという宮司がいる荒廃した寺で、御神体の石斧が盗まれた。問題の“天狗の斧”が発見されたのは完全な密室の中。おびただしい数の武具を飾る旅館の部屋の扉を破ると、頭を割られた死体と脅迫状が。非運の天皇、崇徳院を巡る旅の果てに事件と出遭ったかの名探偵の推理は。

 メフィスト賞作家による、密室をテーマとした書き下ろし。いわゆる「密室本」(まんま)。樒、榁の中編2つが収録されています。ていうか短編2つぐらいの感じでしょうか。薄い。この薄さで700円かよ。密室本企画に対する殊能将之のどうでもいい気構えが伺えます。殊能将之はこうでなくちゃ。

 中編の上に、どちらもミステリ面では小ネタ。「樒」は鮎井郁介の「水城優臣シリーズ/天狗の斧」として書かれています。鮎井郁介が書いた文章、という形なので、鮎井郁介のキャラクターが文章を通して滲み出てきます。自己陶酔したり、情景描写が分かりずらかったり、ペダントリィで水増ししたり。

 読み始めて、何か頭に入ってこない描写だなあと思ってたんですが、鮎井郁介が書いた文章としてわざと読みにくくしてるんじゃないのかと考えるとすっきり収まります。「榁」に切り替わった時すいすい読めたし。

(20020630)


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