恩田陸


●「光の帝国-常野物語-」(集英社文庫)

膨大な書物を暗記するちから、遠くの出来事を知るちから、近い将来を見通すちから---「常野」から来たといわれる彼らには、みなそれぞれ不思議な能力があった。穏やかで知的で、権力への志向を持たず、ふつうの人々の中に埋もれてひっそりと暮らす人々。彼らは何のために存在し、どこへ帰っていこうとしているのか? 不思議な優しさと淡い哀しみに満ちた、常野一族をめぐる連作短編集。

「大きな引き出し」「二つの茶碗」「達磨山への道」「オセロ・ゲーム」「手紙」「光の帝国」「歴史の時間」「草取り」「黒い塔」「国道を降りて...」以上10編収録

 この作品以前に読んだコトのある恩田陸作品は「不安な童話」「六番目の小夜子」「球形の季節」の3作でした。かなり記憶がぼんやりとしてきてるのですが、これらの作品に感じたのは「フォウフ」の効果を上手くミステリに取り込んでるなというものでした。

 具体的に説明するとネタバレになるのですが、「フォウフ」とは、「Friend of a friend」の頭文字から採られた民俗学用語で、都市伝説を作り上げる最大の要因「あの〜コレ知ってる? 友達の友達の話なんだけど〜」という噂の伝播を指すそうです。ルーツが不明瞭な話にはどんどん尾ひれが付いて大きくなっていく例のアレです。

 んで、以上の前フリは殆ど活きないんですが、今回の「光の帝国-常野物語-」、ミステリではありません。今まで読んだ作品とはアプローチが正反対とも思えました。日常に異能力というファンタジックな雰囲気を忍ばせつつ、優しさも醜さも認めた生き方。そんな常野一族のそれぞれの瞬間が描かれてます。

 作者があとがきで「手持ちのカードを使いまくる総力戦になってしまった」と語るのもうなずける密度。各短編で、単純に一人一能力と考えても、短編で消化するにはほんの断片しか見せられません。だからこれはもうエッセンスそのものに近い。もっと薄めて伸ばせば長編に出来るものもちらほらある感じで、何だかもったいないなとも思いました。

 連作短編集なんですが、表題にもなってる「光の帝国」、これの収まってる位置がナイスです。ラストでもトップでもなく、そしてこの10本の連作が、芯で一本の流れを持ってるのをそっと主張する絶妙な位置です。

そしてこの作品で最も心に残った文章が以下。

「音楽にすれば総てが美しいって。憎しみも嫉妬も軽蔑も、どんなに醜いおぞましい感情でも、それを音楽で表現すればそれは芸術だって。だから音楽はどんな時でも味方なんだって。武器なんだって。(国道を降りて.../P263より)」

(2001.11.21)


「木曜組曲」(徳間文庫)

耽美派小説の巨匠、重松時子が薬物死を遂げてから、四年。時子に縁の深い女たちが今年もうぐいす館に集まり、彼女を偲ぶ宴が催された。ライター絵里子、流行作家尚美、純文学作家つかさ、編集者えい子、出版プロダクション経営の静子。なごやかな会話は、謎のメッセージをきっかけに、いつしか告発と告白の嵐に飲み込まれてしまう。はたして時子は、自殺か、他殺か-----?

 恩田陸に対する僕の作家イメージは「六番目の小夜子」をはじめ『都市伝説をモチーフにする人』というものなんですが、この作品は別に都市伝説を扱ってませんな。もともと僕の勝手なイメージだし、作者がそこにこだわってるワケでもなく、作風が多岐に渡ってるのかも知れません。

 とは言っても、『閉鎖空間で登場人物を5人に限定しての思考遊戯的な流れ』ってのは恩田陸作品として珍しいかも。「黒後家」チックな感じもあったかな。

 あまり真剣に人物像を脳内に描かずに読んでいたので5人(死者の時子を含めれば6人)という少ない人物ながらも、誰がどれだかよく分からなかったです。しっかり読めばもっと作者の付けてたキャラ分けに乗れたのかも知れませんが。

 最終的なオチ、都市伝説を扱ってないとさっき書きましたが、このオチは『都市伝説がいかに作られるか』のミクロなモデルにも思えます。都市伝説の全てが、誰かがそれを意図してウワサを作り出してるのかどうかはともかく、当「木曜組曲」の作中では時子の死を利用して恣意に必然を与えようとして結果的にほぼ成功した人物がいます。そういう意味では、最後まで読んだ時にはこの作品にも僕の考える恩田らしさを感じました。

 どうでもイイ話なんですが、ドラマ版の「六番目の小夜子」をもう一度再放送して欲しい。平田裕香が出演してるなんて。ああ、平田裕香が何かと恩田作品を読んでいるのはそういう繋がりがあったのか。

(20030530)


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