森博嗣


●「封印再度」(講談社ノベルス)

岐阜県恵那市の旧家、香山家には代々伝わる家宝があった。その名は、「天地の瓢」と「無我の匣」。「無我の匣」には鍵がかけられており、「天地の瓢」には鍵が入っている。ただし、鍵は「瓢」の口よりも大きく、取り出すことが出来ないのだ。五十年前の香山家の当主は、鍵を「瓢」の中に入れ、息子に残して自殺したという。果たして、「匣」を開けることが出来るのか? 興味を持って香山家を訪れた西之園萌絵だが、そこにはさらに不思議な事件が待ち受けていた!

 いきなりなんですが、土屋賢二の「われ笑う、ゆえにわれあり」(文春文庫)の中に「わたしのプロフィール」ってのがあって、その冒頭を引用すると以下の通り。

>わたしの職業はダンス教師で、タレントの女の子たちにダンスを教えている、と言うと、たいていの男性に羨ましがられる。しかし実態は、そんなに羨ましがられるようなものではない。第一に、銀行員と同じで、価値のあるものを扱ってるからといってそれを手に入れたり自由にすることができるわけではない。第二に、価値のあるものを扱っているのかどうかかなり疑問がある。第三に、わたしの職業はダンス教師ではない。

 これ、凄い。軽く読み進めると、最初の文と最後の文で一瞬矛盾を感じるんですが、よくよく読んでみると、決してウソはついてない。慎重な言葉の選択が成されています。で、僕が「封印再度」に感じた凄さは、この凄さと同質のものだったりします。笑いとシリアスの差こそあれ、同質の騙しの試みが含まれています。具体的にどの辺かと言えば、「封印再度」(ノベルス版)P21での会話、

...もともとは、その鍵は、壷の中にはなかったって、つまり、外に出ていたの。それが今は中に入ってるわけ......。」(中略)

「鍵が外にあるところを、その方は見たんですか?」萌絵は急に真剣な表情になる。

「いえ、それを見たのは彼女のお父さん」世津子は説明する。「それはもうずっと昔の話なのよ。えっと......、昭和二十四年って言ったかな......。つまり一九四九年だから、もう五十年近くまえになるわよね。香山マリモさんのお祖父さまが、その鍵を壷の中にいれたんだそうよ。」

 ラストまで読んで、謎も解明して、その後しばらくたってから(あれ? この解明方法じゃちょっと矛盾していない?)と思い、作者のミスに気付いた! と鬼の首をとったかのごとく心拍数を高めたのですが、改めて矛盾を感じた部分を読み直してみると(上の引用の部分)、ここで騙されていたんだと気付きました。決して、ウソはなかったです。これに気付いてから森博嗣とこの作品の凄さがひしひしと伝わってきました。気付かずに通り過ぎてる読者もいるかも? っていうか僕が変に深読みし過ぎかも。それを誤読というらしい。

(20010508)


●「魔剣天翔」(講談社ノベルス)

航空ショーでアクロバット演技中のパイロットが撃たれ、死んだ。航空機は二人乗り。パイロットが座っていたのは後部座席。しかし、撃たれたのは背中から。犯人は一緒に搭乗していた女性記者なのか? 衆人環視の中、成立した空中の完全密室。シリーズ最高難度の謎を、没落した名家の令嬢・瀬在丸紅子が解き明かす。

 S&Mシリーズに較べると、何だかレギュラー陣のキャラ作りが難解になってきてると感じるVシリーズ。探偵役の瀬在丸紅子は作者自身「感情移入しにくいキャラクター設定」と語っているだけあって行動原理や思考の流れが飛んでます。そして、紅子サイドのレギュラー、保呂草順平、小鳥遊練無、香具山紫子、この辺のキャラ設定も濃い目。S&Mでオーソドックスな登場人物を一通り出したので、それとはまた異なるキャラを、との結果でしょうか。ステロタイプからもう一歩踏み込んだキャラ作り。S&Mシリーズがジョジョ2・3部ならVシリーズは4・5部みたいな印象。いやこんなイメージ持つの自分ぐらいか。

 で、この「魔剣天翔」、例によって森文章が心地よい感じでした。上っ面を取れば、キャラ人気に依存したシリーズモノ、なんて評価もあるでしょうし、そういう読み方もありだし、作者自身そういった層をも意識して作ってると思います。その辺に隠れてしまいがちですが、Vシリーズには何だか一作毎に「作品全体を包み込む思想・テーマ」が盛り込まれてる様にも思ってます(きっと今までもそういう作品作りだったのでしょうが、僕が気付いたのは前作あたりからだったり)。当「魔剣天翔」で言えば、

「どんな出来事でも、ある観測点から見れば奇跡である(P18より)」

この辺がそうなのではないかと感じました。

 メインの謎以外にも、読み手を驚かそうというミスディレクションも細かく鏤められていたり(例のアレは同作品内で繰り返すコトがポイントでは? 複数作品に跨がると焼き直しと思われるだろうし)、分からなくても読み進める上で何ら支障のない読了後の話題にどうぞ的な暗号もあり。と言うワケで、標準以上の所で安定した面白さを持つシリーズです。

☆魔剣天翔脅迫状暗号のネタバレ解答☆

暗号各文最後の文字「キギムイクリ」を 50音で
一つづつ前にずらすと 「カガミアキラ」になる。

(20011205)


●「今夜はパラシュート博物館へ」(講談社ノベルス)

ネタバレ部分は右寄せ赤文字フォント1で。

どちらかが魔女

 感触としてはプチ「笑わない数学者」。読者にバレバレの謎だってのは自覚した上での「その先の思想」が素敵。あと、諏訪野が大御坊を向かえ入れたシーン読み直しました。

壁画の釘は、作画前に付けた
消失点(一点消失)の目印。

双頭の鷲の旗の下に

 窓ガラスに開いた小さな穴の謎。これの解決に当たる物理的な現象は大半の読者が解けないとした上で書いているんでしょうね。知らなくてもイイ。そのトリック解明部分の存在意義は以下のこの言葉を引き出す為ぐらいでしょう。

>先入観というものは恐ろしい。思考は、最初の印象によって無意識に限定される。その不自然さが問題を複雑にし、解決を遠ざけてしまうことが多いのだ。(P93より)

 3節冒頭で来た来た来た来たァ!!騙されるものか)と意気込んだばかりにホント複雑に考えていました。素直に読むと実にシンプルな骨格の短編です。

ぶるぶる人形にうってつけの夜

 これ、表紙折り返しで思いっきりネタバレしています。この本買った時、その部分読んだハズなんですが、1年寝かして最近未読コーナーから手に取った時には既に忘れていました(読書中もカバーかけてたし)。なので、見事に驚かせて頂きました。得した気分です。

西之園、とだけあるのでS&Mシリーズの
某異色作みたいな別の可能性もありますが
3回挿入される見取り図(MOEと読める)
から極普通に西之園萌絵のコトでしょう。
まあ、「捩れ屋敷の利鈍」で「S&M」と
「V」 二つのシリーズの時代がズレている
のかどうかは分かっちゃうみたいですが。

ゲームの国

 解決されてそうでされていないラストなど、全体的に清涼院流水を揶揄ってるのかとも思ったんですが、そもそもこの作者、アナグラム/駄洒落などといった言葉遊び好きですしね。ラストもこのタイトルで許されると思うし。長編で読まされたらキツいけど。やっぱ流水揶揄ってるのか?

アナグラムは、「のっそり、お手→鉄鼠の檻」で
後は自作「すべてがFになる」から「封印再度」
の5作。探偵名は森博
嗣をひっくり返したもの。

私の崖はこの夏のアウトライン

 幻想小説。作者の萩尾望都嗜好からこういった作品を書いてもおかしくはないです。何故か僕がこの短編を読んで印象が近いと感じたのは、萩尾望都ではなく竹本健治の「閉じ箱」収録の某作品ですが。

卒業文集

 輝かしい前向きなラストですが、これ後味悪いですよ。再読して作者の仕掛けにニヤつくにはこれぐらいの短編が適度な長さです。

恋之坂ナイトグライド

 「卒業文集」と何気に着想は似ていそうです。「卒業文集」が、引いてあるのを気付かせないのに対して、こちらは足してあるのを気付かせない。読み手に違う情景を予想させておいてラストにひっくり返すのが上手いです。

素敵な模型屋さん

 森博嗣が後期星新一作品を語る時に使ってる言葉に「オチがないのがオチ」ってのがあるんですが、この「今夜がパラシュート博物館へ(パラシュート=オチがある)」短編集のラストに、こういったオチのない私小説風の作品を持ってくるあたりに作者らしさを感じました。

(20020203)


●「恋恋蓮歩の演習」(講談社ノベルス)

世界一周中の豪華客船ヒミコ号。乗客の持ち込んだ、天才画家・関根朔太の自画像を盗み出すのが怪盗に課せられた今回の任務だった。許された時間は那古野から宮崎までの一日半だけ。なぜか小鳥遊練無たちも無賃乗船したまま航海は続いたが、突然の銃声の後、男性客の消失事件が発生。楽しい旅行は意外な方向へ。

 Vシリーズでは珍しく核となるメイントリックのある作品。シリーズ後半に突入していきなりイカすネタで来てくれました。最後の最後で真相が明らかになるサプライズエンドです。

 レギュラー4人の中で僕は保呂草が一番好きだな、とも気付きました。

 ただ、このメイントリックはかなり序盤から多くの読者が予想を立てたのではないでしょうか。僕もそうだったのですが、それだとどうしても納得感のないラストにしかならない、なので気に掛かりつつも捨てざるをえない推測だったのですが、ラストは鮮やかでした。何を言ってるのかよく分からないだろうと思うので以下ネタバレで赤文字フォント1。

大笛梨枝が、羽村怜人に騙され道具として使われた報われない存在になり兼ねないと思っていたのですが、最後の手紙を読んだトコロ大笛梨枝もまた羽村のような達観したタイプの人間に設定されていたコトでそれが回避されています。

(20020904)


●「六人の超音波科学者」(講談社ノベルス)

六人の科学者が集う土井超音波研究所。そこに通じる唯一の橋が爆破され、山中深くに築かれた研究所は陸の孤島となった。仮面の博士が主催する、所内でのパーティの最中に死体が発見される。招待されていた瀬在丸紅子たちは真相の究明に乗り出すが......。

 タイトルから僕はどことなく「笑わない数学者」を連想し、かなりの期待を持って読んだのですが(「笑わない数学者」は好きなので)、読後の感想としてはイマイチ。仮面の博士/陸の孤島/暗号などの道具立てがミステリしてるんですが、どうにもオチが不満。

 今作で推測出来るコトに、Vシリーズの時代は現在(S&M)よりも2・30年ぐらい古いんじゃないのかというのがあります。これ以前の作品にも推定要素はきっとあったのだろうと思いますが、科学の歴史に疎い僕には分かるワケもなく、今作で音声入力が実験段階なんてあからさまなコトを書かれてようやく気付きました。ネット全開のS&Mシリーズの時代とは流石に同一とは考え難いです(でも時代が古いって言ってもどれぐらい古いのか微妙なんですよね、フルーチェの発売がいつだったかとかオタクという言葉が「黒猫の三角」で出てるとか)

 P77〜81にかけてのレンドルと紅子の会話も、きっと今では実用されてる技術なんでしょうな。それを科学の最先端の現場ではなく在野の紅子が自力で気付いていたってのが凄みになってるんでしょう。衒学古本屋もそんな感じだったっけ。

(20020904)


●「ぶるぶる人形にうってつけの夜」(講談社ノベルス「今夜はパラシュート博物館へ」収録)

以下、ネタバレを含みます。

 そんなワケで、VシリーズとS&Mシリーズは時代がずれていると考えられるので、当短編における小鳥遊練無と西之園嬢の競演について再考してみます。当短編のラスト、名前を巡る二人の掛け合いから西之園嬢の下の名前は萌絵であるだろうと以前結論を下しましたが、時代がずれてると考えられる以上、キングオブファイターズでもないのでストレートに競演は難しい。そこでこの「ぶるぶる人形」の時代を2パターン考えてみます。

◆S&Mシリーズ時代と考えた場合。

 こう考えると、まず西之園嬢は萌絵でいい。そして、練無と紫子はイイ年した中年になります。大学で飯を食ったり、夏休みだから講議も課題もないと喜んだりしてますが、やさぐれた講師としての発言なのかも知れません。医学部出身だろうと関係ありません。バイトが入ってるなんて言ってる描写もありますが、講師だけじゃ食ってけないのかも知れません。今なお阿漕荘なんてボロアパートに住んでても可能性としては別に構わない。自分で書いてて無理を感じてますがもう少し続けます。

 中年になっても練無は女装を続けてるのかという疑問もありますが、女装をしているかどうかは分かりません。「あれ? 貴方ってもしかして女性?(P101)」と西之園嬢(フランソワ)に問われるシーンがあります。このシーンは読み手にフランソワを『女装してる練無を男と見抜いていた』存在と思わせていそうですが、元々男の格好をしていて声の高さで「女性?」と疑問を持ったのも知れません。

 ていうか中年練無とすると学生西之園が馴れ馴れしく「小鳥遊」と呼ぶかという疑問もありますが。

◆Vシリーズ時代と考えた場合。

 練無たちを学生として考えると、建築物の形の「MOE」ってのが問題になります。西之園嬢の言葉に「何かだ、という保証はないわ(P143)」とあるのでホントに全く無意味だったのかも知れませんが、「でも、形以外に、見えるものは、この世にないのよ(P144)」と続いてるので意味があると考えたいトコロ。

 この西之園嬢は萌絵の叔母/睦子ではないかと考えられます。保証がないってのは「MOE」が自分の下の名前とは保証しないってコトで。「今はもうない」によると睦子28歳の時に萌絵は5歳。睦子が在学中に生まれた姪の萌絵の名をぶるぶる人形というイベントで、気付く人にだけ気付く形で残していた。以後の作品で睦子と萌絵のこんな会話が出てくるかも知れません。

「萌絵、貴女が赤ちゃんだった時、いつもぶるぶるしててとても可愛くて、大学でぶるぶる人形なんてものを流行らせた事もあったほどよ」
「あたしをアイデアにしたのならそのぶるぶる人形、あたしのブランドにして欲しかったわ」
「ちゃんとこっそり貴女の名前を刻んでおいたわ。少なくとも一人は気付いたと思うけど」

 もう一つ考えられるのは、建物を「MOE」以外に読めないか、というものですが、これは難しい。見取り図とにらめっこしましたが何も思いつきません。

(20020904)


●「捩れ屋敷の利鈍」(講談社ノベルス)

秘宝“エンジェル・マヌーバ”が眠る“メビウスの帯”構造の捩れ屋敷。密室状態の建物の内部で死体が発見され、秘宝も消えてしまった。さらに、完璧な密室に第二の死体が! 招待客は保呂草潤平、そして西之園萌絵。探偵は前代未聞の手法によって犯人を言い当てる。

以下、VとS&Mシリーズのネタバレと妄想を含む感想になってます。

 冒頭の詩、『過去と未来が今どこか 遠いところで重なり合う』が象徴的です。

 エンジェル・マヌーバって短剣でしたっけ? 別モノで既出してなかったかなあ。そんなコトより今回はスペシャルバージョンとして保呂草と萌絵の競演作。頭脳派の二人なので小気味良く話が進みます。前代未聞の手法ってのが何だったのかよく分からないんですが。

 萌絵が大学院生/インターネットという言葉/秋野秀和(黒猫の三角のニセ保呂草)を殺人犯と知ってる萌絵に素直に驚く保呂草(保呂草ほどの男が相手の記憶力に素直に驚いてる以上、事件は人の記憶から劣化されているぐらい歳月が過ぎてる)/などから時代はS&Mシリーズと読めます。つまりVシリーズで20代後半の保呂草は当作品では50代ぐらい。S&Mシリーズの8作目が過去を扱ってたのに対してVの8作目は未来。

 んで、明確な答が出てないラストの紅子と保呂草の会話がキモなんですが、これはやはり紅子の息子へっくんを犀川創平と看做すしかないんでしょうかね。「この物語に登場する私の古い友人(P15)」ってのもへっくん。それで上手く収まるし。「この物語の記述にも、既にその情報が盛り込まれてることを最後に断っておこう(P172)」ってのも萌絵の電話の相手が犀川創平という部分だと思うし。萌絵への永世不可侵を約束しているのに、電話の相手が誰であったのかをこうして客観的な文章という形で後日おこしている。情報源は紅子からとしか思えない。

 ネットを彷徨ってて見つけたネタに、林と紅子の子供が創平で林と七夏の子供が世津子、んで「黒猫の三角」での林に関する紅子の台詞、

「いいえ、彼まだ独身よ、名前は林さん」「ハヤシさんって、あのね、木を横に二つ並べて、ハヤシと読むのよ」「あら......、だって、変わっているでしょう?」(P114)

これから察するに林のフルネーム「犀川林」説ってのがありました。ちょっと清涼院流水チックながらもあり得ると思いました。紅子の笑いのツボが常人と違うと思わせての叙述トリックになるのかな。ある程度成長してから出会った異母兄妹なら、世津子の「創平君」って呼び方も納得出来ます。

(20020904)


●「朽ちる散る落ちる」(講談社ノベルス)

土井超音波研究所の地下、出入りが絶対に不可能な完全密室で、奇妙な状態の死体が発見される。一方、地球に帰還した友人衛星の乗組員全員が殺されていた。数学者小田原長治の示唆で事件の謎に迫る瀬在丸紅子は、正体不明の男たちに襲われる! 前人未踏の宇宙密室!

 前人未踏の宇宙密室ですよ。宇宙密室。清涼院流水が「いやオレやったよ、前人未踏じゃないよ」と息巻きそうなフレーズです。流水のはちょっとねえという感じだったのですが、この「朽ちる散る落ちる」の宇宙密室も似たようなもので肩透かし喰らいました。帯文句や裏口蓋、大袈裟。

 当作品は、「六人の超音波科学者」から1週間後、再び土井超音波研究所を舞台に物語が展開します。S&Mで同時期に2つの事件が発生したケースを扱ったものがありましたが(「幻惑の死と使途」「夏のレプリカ」)、このVでは同一の舞台で時間をずらして2つの事件を扱った、という形になるのでしょうか。

 宇宙密室ともう一つ、研究所の地下密室があるのですが、こちらはバリバリの森的密室でした。僕としては好みじゃない密室なんですが。

 トリック面ではやや不満が残る当作品ですが、ストーリー的には非常に盛り上がりを見せたのではないかと思います。Vシリーズのプレ短編「気さくなお人形、19歳」からの登場人物/小道具が改めて舞台に登場し、意味付けを持って回収されている。スケールも大きく、これを最終巻にしても納得出来る物語でした。シリーズも次回でラスト、どんな収斂を見せるのか楽しみです。

(20020905)


●「赤緑黒白」(講談社ノベルス)

深夜、マンションの駐車場で発見された死体は、全身を真っ赤に塗装されていた。数日後保呂草は、被害者の恋人と名乗る女性から、事件の調査を依頼される。解明の糸口が掴めないまま発生した第二の事件では、色鮮やかな緑の死体が...!美しくも悽愴な連続殺人!

 「六人の超音波科学者」「朽ちる散る落ちる」で物語のスケールとしては最高潮を向かえたVシリーズ。センセーショナルに盛り上げる、という面では前9作で書き切っているのかも知れません。

 最後に残されたこの1作で扱われるのは、奇しくもシリーズ1作目「黒猫の三角」で紅子が軽くあしらっていたモノ。すなわち『動機』。シリアルキラーものの様相で最終作は進行します。

「遊びで殺すのが一番健全だぞ」「仕事で殺すとか、勉強のために殺すとか、病気を直すためだとか、腹が減っていたからとか、そういう理由よりは、ずっと普通だ」(「黒猫の三角」より)

 殺人犯/秋野と紅子の面談がイイですね。S&M「すべてがFになる」冒頭の真賀田四季と西之園萌絵の会話を彷佛させます。Fの冒頭は「羊たちの沈黙」からインスパイアを受けたと作者が語ってますが、今回のは即物的な面でその印象を持ちました。

 ラストが非常に不可解。これは紅子の敗北なのでしょうか。解答を得ていたけれども、その答の数値は同じだったけれども、たまたまその答に辿り着いただけで、意味合いが違っていたようにも取れます。紅子の考慮の外にあったとも思える『動機』。なんとなく読んだら特にどうってコトないラストだけど、僕はちょっと居心地悪かったです。イイ意味で。森博嗣は「ハンニバル」肯定派なので、このラストも納得できます。

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※以下S&M及びVシリーズに関するネタバレ感想。

「今回の物語を理解するには、多少広範囲の視野を必要とする」
「こんな非連続の中に、我々は、共通項を見出し物事の道理をつなごうとする。(P18)」

 勘が良くて熱心な読者は「夏のレプリカ」の冒頭詩と今作タイトル「赤緑黒白」から黒幕を暴き出したのでしょうかねえ。

 結局のトコロ明確な描写はなかった「犀川創平=へっ君」の回答ですが、鏤められたヒントの断片が今作にもありました。終盤での御祝儀に書かれていた名前から林のフルネームは『○川林』(○は練無たちが読めない漢字だった)と推測。

 尚、前作「朽ちる散る落ちる」でへっ君のイニシャルはSSと書かれています。離婚しても父方の姓のままであるとして、姓が『S川』、名前が『S』からはじまるというトコロまでが判明(瀬在丸のスペルはCEZAIMARU)。後は読者におまかせ状態ですな。

 今作のメタ(作外)レベルでの裏テーマはシンメトリーではないでしょうか。被害者の名前が線対称になっているのもありますが、内容的にも「動機」へのアプローチを扱ってる点が1作目と重なります。ラストシーンもS&M「全てがFになる」の序盤と印象が重なります。Vシリーズ10作をくるみ込むと同時に、S&Mも含めた20作をもくるみ込む。

 作中で紅子は子供なら「色をそろえる」という発想を持つとの考えに至ります。そして確かに全ての引き金になっていたのは子供でした。しかしその子供が持っていたのは子供特有の自由な発想というよりも、天才の『カリスマ』。

 Vのみならず、S&Mシリーズも読んでいなければ凄みが伝わらないと思う人も出そうですが、S&Mを読むコトがなくても充分落ちてるラストだと感じます。天才少女の具体的な正体を知らなくても、『天才少女』で終わらせて構わない。

 それに、もしVシリーズのみを読み終えて「次はS&M読もう」って人がいたとしても楽しめるんじゃないかな、と思います。「この天才少女って成長したら凄い人になるだろうなあ」なんて考えるだろうし、手に取った「すべてがFになる」でいきなりその少女こと真賀田四季が登場するのに驚く楽しみがある。かも知れない(追体験不可能なので想像の域を出ない)。

 Vシリーズは途中から読み手の興味が「S&Mとの関係」一点に集中した感じですが、各作品毎の魅力とテーマも忘れず味わいたいトコロです。

(20020916)


「臨機応答・変問自在」/「臨機応答・変問自在2」(集英社新書)

 質問に捻くれた回答をしている、そんな本です。えー、パラパラと立ち読みです。これは何と言うか、不愉快な本ですな。論点をずらしたり言葉遊び的な回答をしていて、メカニズム的には土屋賢二のエッセイに近い文章です。土屋賢二のエッセイは好きです。それでいてこの本が何故不愉快かと言えば、回答が傲慢で傲岸だから。

 氏自身の小説のキャラクターに言わせてるような回答/言い回しなんですが、これが森博嗣本人の回答(言葉)という形なのが読んでて不愉快にさせる理由です。小説のキャラクターの台詞ならば、フィクションというフィルターがかかるのですが。

 土屋賢二は本人の言葉でありながら何故不愉快に感じないのかを考えるに、捻くれ方が自虐に持っていくからです。それ故に、着地に笑いが生まれる。

 森博嗣はビジネスライクな視点も持ってるのに、どうしてこういう自分にマイナスになる本を出したのかが不思議。しかも2なんて続編も出しちゃってるし。ニーズはあるんでしょうが、100円得る為に1000円出してる感じ。

 『小説は好きだけど、本人はイヤ』というタイプにカテゴライズされています。「遺書」を出した時の松本なんたら(ダウンタウンの片割れ。ハゲ隠しの為にボウズにしてるほう)のように、化けの皮が剥がれる瞬間を感じました。

(20021113)


「そして二人だけになった」(講談社ノベルス)

全長4000メートル、世界最大級の海峡大橋を支える巨大なコンクリート塊“アンカレイジ”。その内部の《バルブ》と呼ばれる空間に、科学者、医者など6名が集まった。通信システムが破壊され、「完全密室」と化した《バルブ》内で起きる連続殺人!

 何だか微妙な読後感を持った作品です。例えるなら、『ある場所から南に10キロ進み、それから西に10キロ、北に10キロ進むともとの場所に戻りました。さて、どうしてでしょう?』、そんなミステリです。どんなんだよ。

 読者の予想を一つに集中させそのラストをひっくり返すというのは好きなんですが、そのどんでん返し解決がスマートに見えない。何だか折原一のどんでん返しのような、そうしたどんでん返しなら幾らでも出来るじゃん的感覚ですな。それまでのニセの解決の方が、綱渡り的でスマートで洗練されているので、勿体ない感じです。

 最初の問いの答なんですが、

『ある場所というのが北極点だった』

と多くの人が答えると思います。でも僕の用意していた答は、

『ある場所の範囲が東西10キロの広さだった』

です。そんな風に、読者の答を想定してそれを美しくない解答で裏切るという感じのミステリです。

(20030123)


「スカイ・クロラ」(C.NOVERLS)

 この作品のメッセージは、『誰もが他者を傷つけている』、そんなトコロなのかな。

 作中、主人公の戦闘機パイロットが平均的な日常生活を送ってる一方、敵を撃ち落とす殺人者としての側面も持っています。しかしそれでいて、人殺し商売の主人公を『住んでる世界が違う』とは感じない。ここまで直接的でなくても、他者と関わると何らかの形で自分の行為が「人を殺す」コトに繋がっているだろう。そんなメッセージを感じます。この主人公は、違う世界の住人ではない。

 サリンジャーを各エピソード冒頭に引用しています。全体に漂う雰囲気はリチャード・バック作品にも通じるものを感じました。それらの作品のようにアフォリズムの宝庫、みたいなものを狙ったのかも知れませんが、アフォリズムに関してはS&MシリーズやVシリーズといった他の森博嗣作品の中での使い方のほうが好みです。

(20030123)


「女王の百年密室」(幻冬社ノベルス)

女王が統治する幸福で豊かな楽園。不満も恨みもない世界で起こる空前の殺人事件。女王の塔の中で殺されていたのは......。完全なる密室。そして、完全なる犯罪。誰が、どうやって、何のために......? 僕とパートナのロイディは推理を開始する。しかし、楽園の住民たちは、みな「殺人」の存在さえ認めない......。

 SF世界観での物語です。作られ方としてはVシリーズに近いものを感じました。ワンアイデア勝負ではなく、小ネタが2つ3つ入ってるという感じで。

 一つの世界から造り上げ、閉鎖した特殊ルール下での謎。というと西澤作品を髣髴させますが、密室の謎にしても、組み立てて解くというパズル性はありませんでした。口蓋では密室ネタしか触れられていませんが、他にも数点驚かせようという作者の意図が明確な部分もあります。「女王が男でした」なんて部分がそうなんですが、ただ、予想外ではあっても驚きより「またそのネタかよ!」という印象が強いです。作家読みしてる読者の弊害です。

 この作品では言葉の定義の不明瞭性がやけに繰り返されています。例えば、30センチを長いと言うか短いと言うか、発言者の主観に左右される。客観で伝えるなら、「30センチ」と言うしかない。そんなコトをふと思った。

 使われてるネタを即物的にミステリにするなら、集団幻覚などの無理のあるゴリ押し設定を敷かなくてはならないんですが、この作品は世界観自体を最初から構築してるので大きな違和感は覚えませんでした。閉鎖世界そのものが謎に直結的に奉仕している辺り、小野不由美の「黒祠の島」と構造が似てるかも。雰囲気はむしろ逆ですが。

(20030123)


「虚空の逆マトリクス」(講談社ノベルス)

トロイの木馬/赤いドレスのメアリィ/不良探偵/話好きのタクシードライバ/ゲームの国(リリおばさんの事件簿1)/探偵の孤影/いつ入れ替わった? 以上7編収録

 かなり面白くなかったです。あちこちに発表されたものが溜まったので1冊にまとめましたという短編集。もう森博嗣は小説から撤退するんじゃないだろうか。何出してもファンは買うのでこれでいいや的な短編集にも思えてきます。そうした安寧のもとで絞りかすを売ってるように感じる。今回は内容薄かった。インパクトのある1編を書き下ろしでもしてくれればまだ許せたものを。

 この中では「話好きのタクシードライバ」がちょっと楽しめた感じ。オチに意外性を出そうとしてるのはこれぐらい。
 「トロイの木馬」あたりは初期に言われた「森博嗣は理系ミステリ」というレッテルを意識したんじゃないかと思わせる文体。「すべてがFになる」よりも理系臭の漂う内容です。

(20031021)


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