舞城王太郎


「煙か土か食い物」(講談社ノベルス)

 舞城王太郎は文章自体が独特ですね。色々と騒がれてる理由が読んでみてようやく分かりました。アイデアでもキャラクターでもなく、『文体=舞城小説』です。句点を極力排除しての思考の連続表現が、これが本来の人間の思考フローだよなあと思わせます。定型化されてる小説のお約束部分から壊して新しい文体を構築。文体そのものがカラーになってる人ってそういないと思います。パッと思い付くのではジェイムズ・エルロイあたりでしょうか。あとは「カメ人間」ぐらい。

 評判があるからドラマ/映画化しようという動きがもし出たりしたら、理解が足りなそうです。このドラッグ感を表現出来るのなら構いませんが、おそらく無理。

 ストーリーは、サンティエゴにて腕利きの救命外科医として勤務する奈津川四郎が、母親が連続主婦生き埋め事件の被害者になったとの報を聞き、故郷へと舞い戻る。そこで展開される奈津川家の血族物語。

 一応のミステリ的な記号、密室/暗号/名探偵というものが鏤められているんですが、奈津川四郎の圧倒的な思考スピードに吹き飛ばされます。傲慢ですが、言うだけのことはある実力者なので不快感はなかったです。ネガティブに止まらない悩まない、心地よい生きざまの主人公です。

 むしろコード型の本格ミステリのちゃちさ(名探偵バカじゃん/密室にしろ暗号にしろ無駄に考え過ぎ)が浮き彫りにされ読んでて爽快。『本格ミステリの自意識過剰ぶりを挑発する』という感じの評を読んだ記憶がありますが、作者の自覚はともかく確かにそんな印象を受けました。

 非常に楽しく読めました。文体に飽きなければ、しばらく舞城小説楽しめそうです。

(20030418)


「九十九十九」(講談社ノベルス)

 清涼院流水JDCシリーズの探偵/九十九十九(つくもじゅうく)を主役に、クレイジーな舞城ワールドが展開。他人のキャラだろうと容赦しない堀り下げ/設定追加に舞城らしさを感じます(中盤から借り元である流水への多少の遠慮があったのはらしくない)。

 流水はトリックも文章も稚拙で、でも自分は凄いんですオーラを振りまいてる、言ってみれば「ミステリが好きだけど、力量がまったく追いついてない」という印象の作家ですが、舞城は、「ミステリを軽視して、ひたすら物語を紡ぐ」という感じがします。実際軽視してるかどうかは知りませんが。
 軽視というのはそれなりに力量を持ってないとただの負け惜しみになるんですが、舞城作品はそれを負け犬の遠吠えに感じさせないものを持っています。

 この作品でも、流水が普段くどくどと、もしくは凄いでしょこの凄さ分かる?的にメインに据えているネタを、だからなんだもしくは単なる部品として再構築。具体的に言うと、メタやらパラレルを大オチにしないであっさりと享受。メタへの切り口は色々と出尽くしてて食傷気味だった自分にも痛快な気持ちで読めました。

 流水/舞城と、同じミステリ書けない作者同士でも、ミステリとして売り出される作品を書く上でアプローチが全く違うのが面白いトコロです。

(20031029)


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