ドストエフスキー


ドストエフスキー「罪と罰」(河出書房新社)

 ナポレオンって人物、名前は有名だけど他の史実上の有名人(発明家/発見家)と違って何気に人類の歴史に全く貢献してないんじゃない?という意見に対して、熱狂的ナポリンファンのドストエフスキーが「違うのー!違うのー!ナポリンは英雄なのー!存在自体に価値があるのー!」と反駁着想から執筆された作品(幾らか妄想入ってますので鵜呑みにしないで下さい)。

 ちなみにナポレオンとは、「エルバ島を見るまで私には力があった(Able was I ere I saw Elba)」という回文や、辞書の落丁を愚痴った発言で有名なあの人です。

 「罪と罰」、僕が読んだのは実家に置いてあった河出書房新社「世界文学全集」の一冊で、すっげー古かったです。奥付見たら昭和41年6版でした。作家名表記がドストエーフスキーですし、600ページぐらいあるハードカバーの分際で定価480円です。

 内容については、メチャクチャ面白かったです。正直ナメてました。『金貸しのババアを殺した主人公が罪の意識に苛まれる』という大枠は何となく知っていたんですが、想像していた程シンプルではありませんでした。どうせ昔の作品だし主人公の罪の葛藤/メンタルに訴える描写にも限界があるだろうと思っていたのですが、間違った先入観でした。

 終始サスペンス感が持続されるヤバい程のエンターテインメントぶり。主人公ラスコーリニコフの頭の良さなんかも想像以上で、黄泉が妖狐蔵馬を評した「常に3・4手先を考えている」タイプです。こんなすげーヤツ絶対捕まらないだろとも思えるんですが、彼を取り巻くサブキャラの動向が何かしら犯罪の露見に繋がっちゃうんじゃないのかという不安があり、読み手に緊迫感を与えます。

 自分はミスをしないけど、周りの人間が何かやっちゃうんじゃないのかという恐怖感。吉良吉影が単独行動を好むのもそうした理由からでした。

※以下、内容についてネタバレしてます。

 メインテーマは、ニーチェ言うトコロの『善悪の彼岸』。ナポレオンの凄さは自己中にある。英雄は善悪を超えた存在。むしろ英雄の行為がそれ以降善悪の基準となる。英雄は自己否定しない。その事実に辿り着いた主人公が、自分は英雄なのかどうかを知るまでの物語です。

 特に注目したキャラクターは以下の4名。

1:ラスコーリニコフ

 主人公。何となく知ってるレベルの粗筋では『自分は凄いと勘違いしてるよくいる平均的な若者が、いざ人を殺したら大後悔』ぐらいに思っていたのですが、ヤバいほど冷徹で計算高いのが予想外でした。葛藤するコトにはするんですが、衝動ではない、予定されていた葛藤でしょうか。客観力に長けてて思考が理路整然としています。

 最終的にも『殺しちゃって後悔する若者』というより『殺した行為を正当化しようとしてる以上自分は「善悪の彼岸」に辿り着けなかった。故に自分は平均的な人間』という結論。ババアの死を悼む気持ちはない。事前に持っていたイメージとは結構違う人物像でした。過程がイチイチ凄かったです。心理描写を煮詰めるとこうなるという感じ。

2:ルージン

 ラスコーリニコフの妹/ドゥーニャの婚約者。社会的地位もあり、そういう面では作品の最終的着地では是の存在にも取れるんですが、何より人間性にムカつきます。婚約者としてドゥーニャを選んだ本心が「自分に決して逆らわない忠実な美少女」欲しさ故。

 まあ、それだけだったらエロゲーの主人公を地でいきたいってコトで共感出来るのですが(出来るのかよ)、他人を罠にはめようとするシーンにてムカつき度が跳ね上がりました。小悪党のちゃちさ炸裂。その場面では、ラスコーリニコフにこれ以上はないというぐらい論殺され、読み手にカタルシスを与えます。そして、多分それだけの存在でした。このシーン以後出てこないし。

3:ポルフィーリイ・ペトローヴィチ

 予審判事で、作中での役割は古畑任三郎。ラスコーリニコフ視点で書かれてるので、ラスコーリニコフを犯人として怪んでいるのかいないのか、こいつの本心が分からないのがサスペンス感を高めてます。

 ラスコーリニコフは、こいつの会話になると尋常でないほど神経を尖らせ、失言がないかバリバリ計算します。この辺に心理戦の面白さを感じます。怪んでいなければ単なる独り相撲なんですが、独り相撲になろうと危険な可能性は全て検討しておく主人公に凄まじい脳髄パワーを見ます。

4:スヴィドリガイロフ

 ラスコーリニコフがたどり着けなかった『善悪の彼岸』に辿り着いていた男。いうなれば範馬勇次郎のようにやりたいコトをやる男です。何がこの男の目的なのかしばらく不明瞭で、作中でもミステリアスな存在でした。

 範馬勇次郎は「闘い」ですが、こいつは「性欲」。でも最後は欲ならぬ「愛」を理解していたと思います。それが伝わらなかったのが切ないキャラ。登場人物誰からも嫌われていた感じでしたが、そんなに嫌う要素を感じなかったです。ヤバいでしょうか僕。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 物語の最後の着地は超個人主義(ナポレオン化)の敗北で、主人公の行き着くトコロはキリスト教的な博愛主義です。これは国家の圧力なのか(無言の圧力含む)、こうまとめるしかなかったのか分かりませんが、かなりイイ感じに思えました。

 この作品は今の社会に読まれてちょうどイイと思いました。最近は個性/個人を尊重する主張が強く、そうした言葉が社会不適合者を安心させる逃げ道になってる感じがします。だから逆に、集団に接するコトの重要性を強調するぐらいでバランスが良さそう。

(20030121)


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