ジョジョの奇妙な冒険
第6部 空条徐倫
-石作りの海-


<1巻>

 「ジョジョの奇妙な冒険 Part 6」と銘打たれた荒木飛呂彦新連載作品。第6部のジョジョは女性/空条徐倫(ジョリーン)。この1巻では徐倫がグリーンドルフィン刑務所に投獄されるトコロからスタンド発動、グェスのグーグードールズとの戦闘序盤までを収録。

 4部も舞台に杜王町、つまり世界を股にかけていた今までとは異なり「一つの街」というかなりの限定空間を扱っていたんですが、この6部では「刑務所」と更に狭まった中でのストーリーが展開されます。限定空間にはサスペンスなストーリー展開が期待出来ます。

 3部から登場したスタンドというアイデアもそろそろ煮詰まってきた感もありますが、6部のこれまでの連載の感触からいって、戦闘序盤では敵の能力そのものが不明瞭で、明らかになってからもそれをどう押さえ込むかでまた面白い感じになっています。5部でもかなり能力が錯綜気味で、連載時には何が何だか分からなかったりしたんですが、単行本で通しで読むとくどくねちっこい闘いがクセになります。

 この1巻、まずは主人公/徐倫の紹介も兼ねた内容になっています。3部主人公の空条承太郎の娘で、初登場時にはまだスタンド能力に目覚めていない。承太郎の娘ながらも父のような寡黙さは感じられず、むしろ一見5部のナランチャっぽいチャカチャカしたキャラ。マスターベーションを男の看守に見られる、オールヌードになるといった具合に、女キャラとして障害になりそうな部分をいきなりクリアしてます。この辺、荒木飛呂彦の巻頭の言葉を読めば理解可能。


<2巻>

 グェス戦決着。徐倫のヒモのスタンドにも人型バージョンが確定されました。名前は「ストーン・フリー」。3部以降の主人公のスタンド、「スター・プラチナ」「クレイジー・ダイヤモンド」「ゴールド・エクスぺリエンス」と、高級な貴金属の名が入っていましたが、今回は「石」です。「フリー」、というコトでカッティングされていない、未知の可能性を感じさせる名前です。

 そして徐倫の父親こと空条承太郎登場の中盤から次の3巻前半まで、ジョジョ十数年の歴史の中でも、もっとも分かりにくさが炸裂している部分です。かつてDIOの部下だったジョンガリ・Aのジョースターの血統への憎悪。今35歳ってコトは22年前に部下だった時って13歳ですか。

 にしても承太郎は若いです。徐倫なんて大きな子供がいる外見じゃないです。3部の時から全然変わってない。


<3巻>

 冒頭の回の扉でどうにか錯綜気味の現在の状況を説明。そして承太郎のスタンドと記憶がディスク化され「ホワイトスネイク」に奪われる。潜水艇には自分は乗らずに刑務所へと戻る徐倫。

 この巻の28ページでのスタンドの紹介、スタープラチナなんですが、時止めの能力のメカニズムが遂に判明。

>あまりにスゴイスピードのため、光の速度を超え、全盛期(18歳の時)最大5秒、この世の「時」を止めることができた

 自分が速いあまり、相対的に周りが止まっていた状態だったらしいです。そんな描写には見えないんですが、まあ気にしない。

 後半ではエルメェスがスタンド使いとして目覚めるエピソードが収録。自殺願望のある男囚/サンダー・マックイイーンとのバトルを通してエルメェスの能力「キッス」が紹介されます。

 途中でエンポリオの部屋に入りますが、アナスイやっぱ最初は女でした。今の凶悪さのかけらも見えないです。ああ、女のままであって欲しかった。エンポリオもスタンド能力者で「幽霊になった物を扱える」となっていますが、こんなコト忘れていました。今後の活躍に期待です。


<4巻>

 スタンド使いというよりも新生物と呼んだ方がいい、知性を持ったプランクトン「フー・ファイターズ」とのバトル。徐倫とエルメェスを除く4人のうち誰が敵スタンド使いか?から始まり50m超過すると爆発する手錠などといったサスペンスフルな内容。

 戦闘終了後はフー・ファイターズも仲間に加わり(乗っ取った女囚エートロの『子供の頃、誘拐されたがってたという設定が面白い)、そしてホワイトスネイクの本体が神父であるコトが読者に明かされます。

 後半はキャッチボールがどこまで続くかという賭け勝負。この辺のゲーム感覚は荒木飛呂彦の得意技ですね。隕石のくだりで「岸辺露伴は動かない〜エピソード16:懺悔室〜/『死刑執行中脱獄進行中』収録」を思い出しました。取り立て人マリリン・マンソンはぶっちゃけ小林玉美のリメイクに思えますが。


<5巻>

 表紙が今までにないカラーリングで素敵です。徐倫がおへそ近辺をグっと出していますが、今日日の荒木絵はそそりません。

 マリリン・マンソン戦決着。何だか言葉をどう解釈するか次第でルールの有効無効が決する感じのバトルに思えましたが、終盤何度もひっくり返るのが楽しい。

 そういやこのマリリン・マンソンはともかく、この6部ではこれまでの海外音楽関係のネタが尽きたのか、ブランド関連のネーミングが色々ありますね。エルメェスやらケンゾーやら。

 「サヴェジ・ガーデン作戦」にていよいよウェザー・リポートが活躍。関連する敵ラング・ラングラー(スタンド:ジャンピン・ジャック・フラッシュ)も強力。相手を無重力下に置き、さらにその相手が触れたものも無重力状態にする。

はっきり言って強すぎです。

過去に身体を磁石にする敵もいましたが、その比ではないスタンド能力。身の回りにある空気すら無重力にしてしまいます。ウェザー・リポートも(漫画上)初の闘いなのにいきなり死にかけるほどの相当濃いバトルになっています。


<6巻>

 「サヴェジ・ガーデン作戦」終了まで、そしてエルメェスに関するサブストーリーの導入までを収録。

 ラング・ラングラーを倒したのも束の間、これでもかこれでもかとばかりに試練連発の徐倫。息つく間もない程の展開を見せた「サヴェジ・ガーデン作戦」は歴代ジョジョでもかなり緊迫感の持続してるパートです。

 ここでは神父の癖(キャラ作り)、『心を平静にする為に素数を数えるが登場。「素数は1と自分の数でしか割ることのできない孤独な数字」ってのは森博嗣「すべてがFになる」の真賀田四季を髣髴させます。

 神父が承太郎の『記憶』にこだわる理由も判明。ディオが書き記した『天国へ行く方法』を承太郎が読んでいたから。見切り発車の感もあった6部ですが、どうにかこれでストーリーも確定されてきました。

 エルメェスの復讐劇「愛と復讐のキッス」では、スポーツ・マックス(スタンド:リンプ・ビズキット)との闘い。エルメェス、イイ感じで先制を取ったものの、死骸を見えないエネルギーの固まり状態にして攻撃してくるマックスに苦戦。


<7巻>

 スポーツ・マックスがパイプから脱出。しかし既に死んでいました。「透明のゾンビ」を作り出す彼のスタンド能力は彼自身にも作用していて、この見えないスポーツ・マックスとの闘いが続きます。

 エルメェスの『復讐』への執着が素晴らしい。

「『復讐』なんかをして失った姉が戻るわけではないと知ったフウな事を言う者もいるだろう 許す事が大切なんだという者もいる だが 自分の肉親をドブに捨てられてその事を無理矢理忘れて生活するなんて人生はあたしはまっぴらだし...あたしはその覚悟をしてきた!!」

キリスト教圏にはキツい台詞でしょうが、これには全く共感です。時に憎悪は人間を鋭敏に成長させると思います。

 グロリアの分、グロリアの分、そしてグロリアの分とパンチを叩き込むエルメェスがナイスです。

 中盤からいよいよ「ウルトラセキュリティ懲罰房」に徐倫が突入。顔面にクソをぶつけられるなどというとんでもない洗礼を受けています。3部のポルナレフがエンヤ婆の攻撃で便器を舐める舐めないであれだけ大騒ぎしていたのに。この差だけでも6部はシリアスさがパワーアップしてる印象。

 懲罰房ではプッチ神父の送り込んだ4人のスタンド使いが待ち構えてます。この内の一人の能力「サバイバー」によって懲罰房内は全員が自分以外殺す気満々モードに。そして徐倫を守るべくFFとアナスイが懲罰房へと向かう中、最初の敵である看守/ウエストウッドと徐倫の闘いが開始。


<8巻>

 前半は徐倫とウエストウッドの闘い。

 この闘いは見てて痛くなる描写が満載。鼓膜から目にかけてストーンフリーの糸を通したり、足の爪を剥いだり。ウエストウッドの能力は、隕石をウエストウッドに引き寄せその軌道上にあるものを隕石で攻撃、隕石はウエストウッドに当たる前に燃え尽きるというもの。ボロボロになりながらの徐倫勝利。勝ってポーズを決める程の大勝負でした。

 後半はケンゾーとFFの闘いが開始されます。

 ケンゾーのスタンド「ドラゴンズ・ドリーム」は風水によって自分の安全な位置や相手の『凶』の位置を知るもの。『凶』から攻め込まれた者はどう警戒しようがかわすコトが出来ない。構造としては3部のボインゴの未来予知に似たものがあります。決定された運命をどう捌くかが見せ場。

 電気椅子に座ってしまったプランクトンのFF。ヤバすぎる状況で9巻へ。


<9巻>

 相打ち覚悟のFFの覚悟で自らも高圧電流の餌食になったケンゾーですが、それでも両者生存。ケンゾーは攻撃対象を徐倫に変更。暗黒風水で決定された攻撃はかわせない。これに対する対処法として、かわせないのなら「守る」。ずっと説明役に回ってたアナスイが最後の最後で美味しいトコ持っていきました。美味しいのかどうか微妙なトコロですが。アナスイの「ダイバー・ダウン」で足をバネにされたケンゾー。残虐ながらも絵的に滑稽です。

 ここから急展開で「骨」の力で死体が植物化します。「サバイバー」のグッチョが徐倫やFFの預かり知らないトコロで退場。アナスイはエグいです。

 後半はDアンGの遠隔自動操縦スタンド「ヨーヨーマッ」が登場。懲罰房に送り込まれた4人のスタンド使いラストの敵ですが、お笑い路線でスタート。「く...くさいぞッ!」とアナスイも思わず手を引っ込めるスタンド。ダイバーダウンを潜入させれない程の臭さみたいです。


<10巻>

 ヨーヨーマッ戦決着から緑色の赤ちゃん誕生、プッチ神父VSフー・ファイターズまでを収録。

 表紙のアナスイ、どんどん露出が高まってます。ていうかこのコスチューム、殆どヒモだけってのがびっくりです。当初女と見紛われたキャラとは思えないんですが。

 徐倫に懐く赤ん坊ですが、いま連載では神父と同化しちゃったんだよなあ。この6部は主人公が女ジョジョなので、女ならではの強さの一つ「母性」もテーマに盛り込んで欲しいトコロ。

 「ジョジョの奇妙な冒険」1巻でのDIOの台詞、「醜くってズル賢こくって母に苦労をかけて死なせ最低の父親だったぜ!」から、父を憎んでいても、母に対して憎悪を向けてはいなそうです。この長大なジョジョシリーズのテーマは「人間讃歌」ですが、そこに「母の無償の愛」が描かれる可能性もありそう。あ、でもジョルノの母親クズでしたね。

 描き下ろしページに「刑務所湿地帯に棲む生き物たち」ってのがあるんですが、凄いのいます。

マナティー。

いや海に面してるから別にいいですけど。


<11巻>

 表紙がプッチメイン。でも何だか覗き見してるみたい。徐倫が一見着替えをしているかの絵ですが、手錠をブーツに回してるよく分からないポーズ。荒木氏、ファッション誌のポーズを見ながら描いたのでしょうか。んで、この部分のアレンジに困ったとか。

 とにかく前巻のラストで死んだフーファイターズの復活劇が見事。まあ、すぐまた死にましたが。徐倫の目の治療を出来るのはFFしかいないのを作者が思い出して一瞬復活させたのかも。

 DIOに関するエピソードも久々。初期に比べると画風の変化が非常に分かるのが、DIOという長期レギュラーキャラのお陰。ジョルノの母親を殺さなかったり、友人を探してたり、このDIOってホントなじむなじむ言ってた頃のDIOなんですか。

 徐倫VSプッチ神父、第一戦は赤ん坊を入手したのでプッチの勝利。この辺が第6部「ストーンオーシャン」の折り返し地点になるのじゃないかと思います。

 ミューミューの本名がミュッチャー・ミューラーってのが、「略してジョジョ」っぽい。


<12巻>

 表紙のアナスイ、男前は男前ですが、普段の荒木的男前とは微妙に異なる男前です。

 前半は看守ミューミューとのバトル決着。「覚えられるのは3つまで」というのは非常に面白いアイデアなんですが、収斂のさせ方が今一つだったように感じます。毎週締め切りに追われる週刊連載の弊害でしょうか。熟考すればもっとおいしい使い方ができるネタだと思うので勿体ないっす。

 「DIOの息子」たち(ここではまだそう表記されてない)登場エピソードを挿んでの次の敵スタンド「ボヘミアン・ラプソディ」も連載に追われての展開法で描いてるような印象で、纏めるのに苦労したんじゃないかと思います。この巻の段階ではただひたすらワケが分からないパニック連発。

 一番面白かったのはアナスイの「このトラックに何体乗ってるんだッ! スゲェ乗ってるぞ」という台詞。ホントにスゲェ乗ってます。

 永井豪は版権にうるさいんでしょうか。アトムや鉄人28号も確認出来るのに、「(C)永井豪/ダイナミックプロ」だけ。それよりもディズニーの方がヤバいですが。ミッキーを除けばディズニー以前の昔話キャラだから大丈夫か。


<13巻>

 ボヘミアン・ラプソディーのウンガロ戦後半、そしてスカイ・ハイのリキエル戦ラストまでを収録。

 ゴッホは37歳で自殺したのかあ、随分老けた自画像描いてるなあ、などと無駄な疑問が生じました。ボヘミアン・ラプソディーの能力は「好きな物語キャラクターと同じ結末を向かえさせる」。やはりオオカミなんかに憧れてたアナスイが腑に落ちません。ウェザーの機転によりこのスタンドを打破しますが、どうせなら『全てのファンタジーヒーローを元に戻す』だけじゃなく『ファンタジーヒーロー現実化以前まで全て元通りにする』キャラクターをゴッホに描かせれば良かったのに。ウンガロによる被害は過去最大かも知れません。

 スカイ・ハイのリキエル戦はジョリーン/エルメェス/エンポリオ側が相手。初登場時のリキエル、あれ髪じゃないですね。何て言うか、サティアンという言葉を思い出しました。ラストにロッズ絡みで4ページ描き下ろしがあります。

 オマケページに、

>ジョルノ・ジョバーナもDIOの息子であるが、何故、彼が神父のところに引きつけられて来なかったのか?は謎。いや...もしかして、引きつけられて既にフロリダのどこかに来ていたのかも知れない...。

ってのがありました。これ荒木氏が書いてるのかどうかも分からない文章なんですが、「来ているのかも」ではなく「来ていたのかも」なんて終わらせてるあたり、6部でジョルノは登場しなそうですね。


<14巻>

 ヴェルサス戦、そしてウェザーの記憶復活でヘビーウェザー発動序盤までを収録。

 ヴェルサスの過去は悲惨ですな。ていうかDIOの息子って全員悲惨な子供時代を送ったみたいです。ジョルノだけ敗北人生から上手く抜け出せた感じ。

 ヴェルサスのスタンド「アンダー・ワールド」は、過去に起こった出来事を再現して対象をそれに落とし込むコトが出来る能力。これは、非常に使い勝手の難しいネタでした。一見論理的に見えて、その実滅茶苦茶ストーリーに都合のいい、言ったもん勝ち的ゴリ押しな展開です。よくよく考えると無理があります。例えば、

『飛行機が墜落して乗っていたA・B・Cの3名の内、A・Bが死亡、Cが生き残った』

という事実があったとして、これを表現するのに幾つか言い回しがあります。

1『飛行機が墜落してCが生き残り、他は死んだ』

2『飛行機が墜落してA・Bは死亡、他は生き残った』

 ある出来事を表現してみてどちらも『事実』ですが、もし1の表現だったら、この過去に落とされたら死ぬコトになるし、2の表現だったら生き延びれるコトになる。

 過去の事実が絶対に変わらないというのなら、ぶっちゃけ過去に落とされても自分は何の影響も受けない(と同時に与えない)んじゃないのかと思う(あれこれ対策を講じていた徐倫とエルメェス、何もしなくても同じ結果だったのかも)。

 これに限らずタイムマシンネタってのは、整合性を考える際どうしても都合良く伏せられてる部分がありますな。作者の詭弁に気付かずに鮮やかに騙されればイイんですが、何か気付いちゃった。きっと、土屋賢二のせいだな。気付いたら気付いたで、荒木ルールなんだと自分に言い聞かせるしかない。

 後半、この段階では明かされていないウェザーの虹能力を説明するプッチが「無意識」という言葉を使ってます。巧妙な伏線に見えるけど、きっと偶然なんだろうなあ。


<15巻>

 記憶が戻ったウェザー・リポートのスタンド「ヘビー・ウェザー」の能力紹介と、その謎がプッチの語りで明かされるまでを収録。

 サブリミナル効果ってのはその現象自体がウソって話も聞いたコトがありますが、ロッズも荒木流解釈なので別にネタに使う分には許容。ネタの料理方法については微妙。

 この巻にはウェザーとプッチの過去エピソードがあるのですが、プッチが如何にして『運命』というものを意識し、それに取り憑かれるようになったのかが切実なまでに伝わってきます。

『ここから先に起こる事は読者であるあなたに判断していただきたい』
『結末はいったい誰の罪なのか?』

 少年誌連載漫画ですが、『主人公の敵なので悪です』と単純に善悪二元論で割り切れる内容ではない。

 元からジョジョは不良やギャングを主役にして『社会的に立ち場の悪い存在でも別に悪党ではない』のを表現していた部分もありますが、その辺はそれでも『主人公だからイイモノ』と漫画の枠レベルで認識されていたと思います。

 んで、6部でも初期は『刑務所にぶち込まれてるけど主人公だからイイモノ、聖職者でも敵だからワルモノ』という大枠を持っていたんですが、この15巻収録の過去によって、プッチから『無条件の悪』というレッテルが剥がされた感じがします(「行動」は肯定出来ないが、「理由」は共感出来る)。

 プッチが執拗なまでにこだわる『運命』、この言葉について、5部最終巻(63巻)の巻頭にこうあります。

>「運命」で決定されているとなると、努力したり喜んでも仕方ないという考えも生まれる。そこなんですよ。人間讃歌を描いていて悩む点は。答えはあるのか?

 6部がまだ終了していないので大局観を以て語るコトが出来ないのですが、この疑問への荒木飛呂彦の答えが、プッチというキャラクターを通して描かれそうです。敵役ながらも何かもうプッチが6部のテーマを担っていそうです。


<16巻>

 ウェザーVS神父決着、そしてスタンドがモデルチェンジした神父とのケープカナラベルでの戦闘序盤までを収録。

「私が新月を前に得たものは『無敵さ』なのか? だがあくまでわたしの求めるものは『強さ』ではなく全ての人類が到達すべき『幸福』だという事を心に戒めておこう」(プッチ)

「おまえは......自分が『悪』だと気付いていない...もっともドス黒い『悪』だ...」(ウェザー)

 あー、僕ヤバいかな。プッチのほうへの共感度が高いんですけど。プッチ、敵は敵だけど芯がここまで通ってるのは凄いです。一般人をわっさわっさと巻き込んで殺す振る舞いから辛うじて悪として受け止められますが、状況次第じゃ別に主人公と変わらないぐらいの信念/意志の強さを感じます。

 上に引用したウェザーの台詞から、プッチはニーチェ言うトコロの『善悪の彼岸』に立っている存在です。1部の切り裂きジャックなんかででも軽くこうした人間の存在について触れられていましたが、ここに来てよりシリアスに深く掘り下げている感じ。どうやってこいつの心を折るんでしょうか。折りようがないと思います。

 ウェザー戦の神父は今までで最高に追い詰められました。ここまで惜しいと倒された時のカタルシスが大きそうです。吉良同様に。

 後半の新能力「C-MOON」はこうして単行本で改めて読んでも理解しにくいです。プッチ自体に逆引力能力が備わり、スタンドの攻撃ではその逆転度数がより一層強力に影響を与えるという感じですな。


<最終回感想>

>「運命」で決定されているとなると、努力したり喜んでも仕方ないという考えも生まれる。そこなんですよ。人間讃歌を描いていて悩む点は。答えはあるのか?(63巻)

>「運命」は偶然ではなく理由がある。『ジョジョ』の中では、この考え方をとる。科学的には証明できないかもしれないが感覚がそうだと言っているのだから。(16/79巻)

 ジョジョの奇妙な冒険第6部「ストーンオーシャン」がWJ2003年4月7日発売号にて終了しました。

 神父の『未来を知っているからこそ覚悟が出来て幸福』という思想に対して、『未来は不確実性に満ちているからこそ人は幸福』という対極思想をぶつけるのかと思っていたらまるで出ませんでした。その辺は、きっと本筋ではなかった様子。本筋ではない、というよりも上記の単行本巻頭の言葉引用から、荒木飛呂彦的には『運命は決定されている』側の考えです。

 それにしても荒木飛呂彦じゃなければ打ち切りかと思わせる唐突なラストです。読んだ直後は『あり得ない』『もう10話(単行本1冊分)描けるだろ』『面倒になったのか?』などと困惑ばかりでしたが、それなりに興奮がおさまってきたので取り敢えず自分なりの考えを述べてみます。

 この作品、些末な部分での整合性を考えるとボロボロと矛盾が出てきて頭がおかしくなります。世界観もラストのあれは一体どうなったのか、勝手に想像で補完するしかない状態です。6部のテーマも当初は『女ジョジョ、女ならではの内容』というものがあったかと思うのですが、そのテーマ自体ほとんど放棄された感じです。

 あのラストはどう捉えればいいのか、自分なりの取り敢えずの解釈を述べてみると、ジョジョの単行本粗筋でのデフォルトとなってる以下の一文の終了ではないかと思ってます。

『これは一世紀以上にわたるディオとジョースター家の因縁の物語である...。』

 これに、遂にとうとうようやく本当に決着がついたのではないかと。完全にディオという存在が(ジョースターの)歴史から抹消された、因縁の消滅とはそういうコトではないかと思います。ディオが歴史から消滅したという根拠は薄いですんが(アイリンやアナキスという名前から、少なくとも一世代前からは歴史が変更されている、というぐらいです)、ディオ消滅と勝手に仮定して話を進めます。

 単純にディオという対象を倒すだけでは『因縁』は消滅しない。一度出来た因縁はいたちごっこのように永遠に続く。それを完璧に拭い去ったラストなのではないかと思います。(アイリンの星のあざの存在から、ジョースターの血筋は絶えていない)ディオに対するジョースター家の勝利の終結だったのではないかと。6部終了というよりもジョジョ終了です。

 ディオの存在しない歴史では、アナスイ(アナキス)もエルメェスも受刑者ではなくまともな人生を送っているみたいですが、彼らも、作中では語られないトコロで何世代も前の血統(先祖)がディオに関わっていて、子孫である彼らも人生を狂わされていた、それがディオ抜きの歴史ならああなっていたと。

 ディオの存在で多くの悲劇が生まれたのですが、その一方ディオという悪がいたからこそ出来た絆や人間関係もありました。そうしたポジティブ部分すら消滅したのではなく、そのような人間関係は、ディオがいなくても別の形で築かれていたというラストに思えます。人と人との間の引力/運命は、瑣末が変わってもその大局は変わらない、きっとそういうコトではないかと。

 まあ、この解釈は7部が始まってまたディオとか出てきたら一気に無効化されてしまうのですが。

 次回作「スティール・ボール・ラン」がどういうものになるのか見当が付きません。スタンドが出なくてもジョジョ7部に出来る(1部2部にスタンドはない)んですが、ジョジョはディオとの因縁の物語と思いたいので、もうジョジョじゃない作品でもいいと思います。荒木飛呂彦はトリッキーな話を作れるし、何を描いても荒木漫画なので、ジョジョという枠にこだわらなくても読み続けます。


<17巻>

 第6部ストーンオーシャン最終巻。分厚いです。63巻(5部最終巻)も厚いなと思いましたが、それよりも40ページほど多いです。12話収録かー。まあ、分厚いと言っても隣に置いてあった漫☆画太郎の「地獄大甲子園」には負けますが。

 ラスト近辺に描き足しやスタンドのネーミングに微修正あり。最終スタンドが『天国への階段』から『メイド・イン・ヘブン』と名が変更されてるのは何故? 『天国への階段』だと天国完成という感じがしないからなのかな?

 今巻の巻頭コメントは、いわゆる『キャラが勝手に動く』という状態を言い表わしています。荒木氏ほどのベテランならその状態を今までも何度も味わってきたと思うのですが、長編物語の着地にその状態に入ったのは今回が初めてなのかも。

 エンポリオが刑務所に戻った時は、『循環する時の輪を打ち砕く物語』という大枠が脳裏に浮かんだのかも知れない。でも、結局ああいう風に展開させる力が働いた、のかも? 想像するしかないんですが。どうにしろ、少年誌連載とは思えない内容になってます。

 現段階ではまだ次回作の姿が見えていませんが、楽しみです。


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