岩明均


「ヘウレーカ」(白泉社)

 BC216年イタリア半島、天才策士/ハンニバル指揮下のカルタゴ軍相手に大敗を喫したローマ共和国は、ハンニバルに対抗すべく、『ローマの剣』ことマルケルス将軍に軍の指揮を取らせるコトにした。そんな中、平和なシチリア島シラクサ市も民会と王宮が親カルタゴ派に乗っ取られてしまう。故郷を捨て渡りついたシラクサで人生を謳歌していたダミッポスは、知り合いのローマ人少女/クラウディアを助けるため、アルキメデスを頼ることにする。一方、シラクサを乗っ取った親カルタゴ派たちは、ローマ軍/マルケルスの侵攻からシラクサを守るため、アルキメデスの作った数々の兵器を利用する。その戦いにダミッポスも巻き込まれていく。

 と、一応こんな感じのストーリーですが、主役はダミッポス。帯とか見ても誰が主役かよく分かりませんでした。ハンニバルなどは最初にチラっと出てきただけだしアルキメデスも脇を固める、にも満たないただのボケ老人です。

 いきなり話は変わるのですが、法月綸太郎の評論ってその内容に関しては対象作品の理解に全く奉仕しない妄想だと思います。言ってるコトの是非を問うなら、僕はほとんどが『非』だと思ってます。ただ、法月氏の評論/作品解説はある意味妄想が極まって「創作」の域に達してると感じます。それ自体が『作品』になっていて、読み物としてそれはそれで面白い。なので、僕もちょっとそれをマネてこの「ヘウレーカ」を語ってみます。今の前フリはこれから僕の書くコトがメチャクチャであるという言い訳先行入力です。

 この「ヘウレーカ」という作品は『答えはすでにそこにある』というメッセージを放っていると感じました。

 「分かった!」というコトは理解したコトを表現していますが、世の中に発明はない。既にあるそれを発見するコトはあっても、新しく造り出すというコトはない。組み合わせの新しさを発明と定義するなら発明はありますが、それも既にあるもの別の組み合わせを知ったのに過ぎない。

 作中でアルキメデスが定理を見い出していますが、それも自分が一度解いていた式を再び掘り起こしただけでした。ここではアルキメデスのボケによって「いやそれすでに見つけられてるよ。しかも見つけたのお前だよ」という即物的な演出がなされてるのですが、実はボケ以前の最初の発見からして『すでにあった定理を理解した』だけ。

 終盤における軍人へのダミッポスの台詞「ほかにやる事ァないのか?」、ギチギチの機械みたいにならないで人生を楽しみやがれという意味合いを感じます。心の荒んだ人間が増えてきた故郷を捨ててシラクサに逃げてきた主人公は、つまり心の余裕/人生を謳歌する生き方を望んでいます。そんな生きる姿勢のあり方も『答え』の一つとして誰もが聞いたコトはあるでしょうが、多くの人には内容の理解にまでは至っていない。

 そしてこのダミッポスの台詞もまた、著者の代表作「寄生獣」のラストにおける人間とは心に余裕/暇を持つ生き物という台詞に繋がります。「ヘウレーカ」という作品自体が、「寄生獣」という作品ですでに描かれていたメッセージを改めて描いたもの、と思いました。


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