浅田寅ヲ


●「すべてがFになる」(原作/森博嗣)

 クールで硬質な絵は非常に原作にマッチしています。浅田寅ヲの描く作品には初めて触れましたが、カッコイイです。もちろん自分が原作を読んで描いていたイメージとは異なるキャラ描写もありましたけど。ていうかほとんどがそう。どいつもこいつも眉ひそめて難しそうな顔してますね。

 漫画化の際の希望に「犀川をカッコ悪く」とあるのが森博嗣らしいです。多くの読者が犀川に「タレ目/B'z稲葉の線を細くした外見」という印象を持っていそうです。雑誌の投稿イラストなどから察するに。ちなみに僕の犀川イメージは佐野史郎です。

あ! いま敵増やしましたヨ!

この浅田寅ヲ版犀川はワイルドです。アンダーフレームの眼鏡で無精髭。髪もボサボサでとんがってます。でもこの犀川、かなりアリです。自分のイメージが修正されるまではいきませんが。一方、女性キャラはかなり違和感ありまくりです。儀同世津子のゴージャスぶりもそうですが、萌絵が黒目がちなトコロが特に。国枝女史はイメージ通りでしたが、女性じゃないので。

 原作を読んだ時は、扱ってる舞台が全く無縁の世界で、十全に理解していたとは言い難かったものの、それでも超人対決の理解可能な部分を断片的に拾い『ああ、スゲえ』と感動しました。ネットに触れるようになった今、漫画版で改めてこの「すべてがFになる」に接して以前よりも理解が容易になっていたかと言えば、いや全然。

 相変わらず西之園萌絵の計算即答がカッコイイ。真賀田四季に妹/未来がいたなんて忘れていました。

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 ドストエフスキーの「罪と罰」を読んだ時、舞台/芝居にするならラスコーリニコフを三人一役にするのが手法として面白いんじゃないのかと思った(別に3人で顔は似てる役者じゃなくてもイイ)。ラスコーリニコフの心理対決をそのままビジュアルに出して、観客の目には3人、でも他の登場人物には1人にしか見えない手法。

 そこまで考えた時、思い出したのがこの浅田寅ヲ版「すべてがFになる」。この作品ですでにやってます。犀川の内の様々な客観的な視点を、複数の犀川をそのまま絵にするコトで表現している。

 まんま描くってのには、巨漢キャラを投げ飛ばそうとして岩を抱いてるような印象を受けた心理描写を「まんま岩を描く」板垣的手法としてありますが、そうした感じでこの作品では自分内の複数の視点を描いている。こうした手法はルーツを辿れば天使と悪魔の葛藤にまで遡るんでしょうが。

『犀川先生...貴方 頭の回転は遅いけど指向性が卓越してる 判断力は弱いけど客観性は群を抜いています』
『貴方は幾つもの目を持っている 本当の貴方を守るために他の貴方が作られた』
『貴方の構造は私によく似ています』

 多重人格者が犀川に語るこの言葉の意味と演出の凄みにようやく気付きました。


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