日々雑記へ トップへ


2月20日(木)☆

《更新履歴》...リンクに「アバル信徒と魔城「ガッデム」」追加。

 遂にお誘いが来ました。もちろん相互リンクしますよ。

 あと更新履歴に載せてませんでしたが、「タイトル未定」の未出演のボブ氏が管理されてる「ガッデムアンテナ」もこっそりリンクに追加してあります。

*************************

今週のバキ感想

 巨凶によるノールールの「勝負観」が語られました。勝敗を決めるのは闘ってる者同士。どこまで劣勢になろうと本人が認めなければ負けではない。どこまで優勢だろうと本人が認めなければ勝ちではない。ルールがない以上、外からの判断は下せない。

 なかなか分かりやすい勇次郎トークでした。この辺、ドイル編で説明されてなかったコトを言葉で改めて表わしてるように感じます。前回までの本部による「武器に頼ってたから肉体能力が衰えた」というのも、海王ドリアンが中国拳法をロクに使わなかったコトにも繋がりそうです。夜の公園でのこの柳戦で死刑囚編未回収部分を少しまとめてるのかも。

 未回収部分と言えば、バキに毒手が通用しなかったのは未だ説明されてません。あれは、『愛があるから』で片付けられてるのでしょうか。あと、ネットで結構言われてる勇次郎の「FBIになんざ100年経ってもわかんねえ」発言の真意ですが、あれはシンクロニシティで充分説明されてると思うんだけどなあ。別に何か即物的な理由(5人を手引きした黒幕がいる等)があるんでしょうかね。

 勝負観を語り終えたトコロで達人到着。勇次郎、喋り疲れたと言い、その場を立ち去ります。が、いきなり柳の顔面に振り向きざま裏拳を叩き込みます。屈服しないコトはオレとの勝負に立ち入った。だから決着をつけさせてもらった。

いま言ってるコト飛躍しましたよね?

 通ってそうで微妙にズレてますよね、この発言? 柳を片付けるために勇次郎に無茶苦茶言わせました板垣氏。そして勇次郎はもとから無茶苦茶なので、何となくそれで済んじゃいます。まさに巨凶。「負けを認めるかい?」という問い、どう答えても柳は処分されてました。


2月19日(水)☆

筒井康隆「朝のガスパール」(新潮文庫)

コンピューター・ゲーム『まぼろしの遊撃隊』に熱中する金剛商事常務貴野原の美貌の妻聡子は株の投資に失敗し、夫の全財産を抵当に、巨額の負債を作っていた。窮地の聡子を救うため、なんとTまぼろしの遊撃隊Uがやってきた! かくして負債取立代行のヤクザ達と兵士達の銃撃戦が始まる。
虚構の壁を超越し、無限の物語空間を達成し得たメタ・フィクションの金字塔。

 パソコン通信や投書による読者参加という試みによって作り上げられた作品。今日日ではネットも普及してるので、理解の容易なシチュエーションだと思います。

 当時であってもそれほど目新しい試みであるとは思えないのですが、そこは筒井です。はっきりと『読者参加』というものの答えを最初から見抜いています。どういう意見が出るかを事前に想定してて、それを作品の着地に回収出来るような話をスタートさせています。

 具体的には、『どんなものにもケチを付けるヤツは存在する』。これまでの作品であらゆる批評を受け、ちゃちい大衆心理を知り尽してるが故の『事象のエスカレートの読み』。罵倒が出るのを前提に、その罵倒すら作品の構成に奉仕させる。ジョースターの血統が私を天国に押し上げるように。

 こうした大衆心理を見抜き長いスパンでの世の中の流れを見極め数カ月前から『今』どうなるのか予想できる人間はいます。筒井も勿論その一人で、「朝のガスパール」は「文学部唯野教授」とはまた別のやり方で、悪意すら利用しきった爽快な作品。

 んで、ここからは余談、単なる妄想話なんですが、冨樫義博「ハンター×ハンター」の「GI編」は、ひょっとしたらこの『読者の反応』ギミックを応用してるんじゃないのかと感じました。読者からの罵倒を利用するのではなく、展開予想ファンレターなんかを利用しようとしてるんじゃないのかと。

 事前にある程度カードとその内容を公開して、読者から『このカードでこうやれば何々ですね』という反応を待つ。冨樫自身が気付かなかった慧眼なアイデアがあればこっそり作品に反映させる。言ってみれば読者総員ネタ出し用アシスタント。

 「GI編」が「ガスパール」応用なのかはともかく、冨樫が筒井作品に接しているかと言えば、「レベルE」のネーミングやドタバタSFノリ/「幽遊白書」の蔵馬VS海藤での「残像に口紅を」的ギミック等からきっと接点はあると思ってます。


2月18日(火)☆

 ムラトモさんのトコ(Love Crash!!)で「ジャンプ感想の感想」をやってて面白いです。巡回とか大変そうです。高菜のヒザ、僕以外にも見間違えた人がいて安心しました。

*************************

今週の餓狼伝感想

 バキ休載でちょっと怪んでいたのですが、載ってました。原稿をあげてから雑誌に印刷されるまでの期間がどうなのか分からないので次回もまだ安心出来ませんが。

 バックドロップにて長田の勝利。前号ラストで加山の目の前に血のようなものが飛び散る描写があったのですが、出血の様子はありません。あれは脳震盪による衝撃の表現だったのかな?

 パンツ一丁のレスラー姿で立ち去る長田はカッコイイのかどうなのか微妙です。

 続くカード、オリンピック選手VS空手ですが、こちらも空手が劣勢で終了。空手がかなり弱く描かれています。象山や勉など一握りの本物を輝かす為の仕込みか、それとももっと広義で、どんな格闘技も本物は僅かというコトなのか。

*************************

浅田寅ヲ「すべてがFになる」(原作/森博嗣)

 ドストエフスキーの「罪と罰」を読んだ時、舞台/芝居にするならラスコーリニコフを三人一役にするのが手法として面白いんじゃないのかと思った(別に3人で顔は似てる役者じゃなくてもイイ)。ラスコーリニコフの心理対決をそのままビジュアルに出して、観客の目には3人、でも他の登場人物には1人にしか見えない手法。

 そこまで考えた時、思い出したのがこの浅田寅ヲ版「すべてがFになる」。この作品ですでにやってます。犀川の内の様々な客観的な視点を、複数の犀川をそのまま絵にするコトで表現している。

 まんま描くってのには、巨漢キャラを投げ飛ばそうとして岩を抱いてるような印象を受けた心理描写を「まんま岩を描く」板垣的手法としてありますが、そうした感じでこの作品では自分内の複数の視点を描いている。こうした手法はルーツを辿れば天使と悪魔の葛藤にまで遡るんでしょうが。

『犀川先生...貴方 頭の回転は遅いけど指向性が卓越してる 判断力は弱いけど客観性は群を抜いています』
『貴方は幾つもの目を持っている 本当の貴方を守るために他の貴方が作られた』
『貴方の構造は私によく似ています』

 多重人格者が犀川に語るこの言葉の意味と演出の凄みにようやく気付きました。


2月17日(月)☆

 「聖闘士星矢エピソードG」を叩いてるテキストを見つけました。叩くコトそのものは構わないのですが、1回で終了と言いながら続けてるのが笑えました。女に媚びる為に続けたのが見え見えで。そのテキスト自体、「脱構築による罵倒」の典型。有名な白痴の方なので知ってる人もいるでしょう。

 それはさておきWJ12号感想。

ストーンオーシャン

 表紙&見開き扉、両方でレインボー。そういやウェザーのディスクをジョリーンが持ってるのを思い出した。

 『今...何ていった?』を二度繰り返す承太郎。同様ぶりが伝わるんですが、最初何かのスタンド能力で時間がループしてるのかとも思った。アナスイにしがみつくジョリーンを引っ張がしてる姿が可愛い。こんなに可愛い承太郎、殴られた数メモってた時以来です。

ナルト

 血液恐怖症の医者。どんな治療をするのでしょうか。ツボ治療の類い?

 ナルトと大蛇丸って接触してなかったんですね。今回のナルトの発言でそう言えばそうなのか、と。

 ナルトを見ても『弟とそっくり!』という展開を見せませんでした。それどころか「このガキは何なの?」と来たもんです。逆に、サスケとか全然似てないキャラ見て『弟とそっくり!』なんて言い出すかも。

ワンピース

 ワビを入れるヤマに「許さない」と言い放つロビンの非情さが素敵。ヤマは見れば見る程気持ち悪い身体してます。ボキボキ指折られてるシーンとか特に。

 ルフィ、「黄金の煮込みは最高にうまいって昔酒場で聞いたァ...」と根本的に間違ってる発言が面白いんですが、一回性のギャグですよねコレ? 伏線じゃないですよね?

アイシールド21

 パンフレットが扉と思って読んでたけどセンターカラーですでに扉あった。このパンフは誰が作ったのか。『猿でもわかる』なんてあたりはヒル魔っぽいですね。絵もヒル魔だろうか。何でも小器用にこなせそう。とかここまで書いてライスくんの絵思い出した。ヒル魔じゃないですね。

 ヒル魔のパスが異様にカッコイイです。ギャリック砲ばりに。キャッチするモン太もイカしてます。今週は終始カタルシスを味わえました。

ボボボーボ・ボーボボ

 随分前の方に掲載されてるんですが、アンケートが反映されてるんでしょうか。毎回毎回で、ここまで位置が変動するようなギャグの差を感じないんですが。

ウルトラレッド

 トーナメント表が発表された時には皇友VS白羽三千也、グラ刃牙最大トーナメントにおける烈VS克巳的に意外性を出し白羽三千也が勝ち昇ってくるんじゃないのかと思ってたのですが、何かダメっぽいです。ていうか山田吾郎でそのネタ出したか。

いちご100%

 抱きつきからあの展開は意表を衝いててよかった。天地とさつきで簡単にくっ付かれても何なので。

 最後は1ページ使って西野登場。何この扱い? 作者の中でも株があがったのでしょうか。範馬勇次郎並の登場の仕方です。

ハンター×ハンター

 追っ掛けっコの途中でもこんな駆け引きを考えていたんですね。可能性を洗っておく冨樫恐るべし。

 そう言えば数週前に泣いてたジジイは新キャラではなく、ゲームクリア依頼主のバッテラでした。何かキャンセル発言してます。数週前に画面を見て泣いていたコトから考えるに、メロドラマにハマっててゲームはもう興味がなくなったのではないかと思われます。

ブラックキャット

 ハンター×ハンターみたいコト始めました。掲載位置的にもハンターっぽいんですが、それはヤバい傾向で。今から長い話作れるんでしょうか。

ピューと吹く!ジャガー

 「やっぱ一番でしょ」とのコマの高菜、ヒザか。見間違えるなんて重傷だ。


2月16日(日)☆

筒井康隆「文学部唯野教授」(岩波書店同時代ライブラリー)

 筒井もあれこれ様々な作品を出してるんですが、ほとんどネタの重複がないあたりに天才を感じます。何を代表作と呼ぶのか難しい作家です。タイトルの知名度では「時をかける少女」でしょうか。

 この「文学部唯野教授」は批評史、そして各批評形体の穴を洗いざらいしてる作品。唯野教授の日常と講議の2点から構成されるストーリーですが、この講議パートが「批評史/批評の批評」に該当しててこの作品のキモです。

 筒井康隆自身が自作に受けた批評に対する怒りが批評というものへの対策/興味に繋がり、その結果生み出された作品で、感想系サイト運営者は必読(僕が読んだの10年前ですが)。自分が論理的で説得力のある批評/評論をアップしてるとド勘違いしてるヤツには特に読んでもらいたい。サイトに限らず、これを読むと自分の「一つの/最初の/直感的な考え」に対して多角的なアンチテーゼを設け、自論の客観性を意識するようになれます。

 この作品に脱構築というのが出てきてます。主に大型掲示板がその性質上そうした批評の巣窟になってるのですが、『脱構築による罵倒』ってのはまるで説得力を感じませんな。部分を全体にすり替えての叩き。「Aだからダメ」という批評が出る一方で、「B(Aと正反対の属性)だからダメ」という批評も出る。とにかくダメ。基準も何もない。

 こうした脱構築は匿名に守られてる場でのみ通用するのですが、たまに、サイト運営者(個人が特定できる場)にも見られるのが痛い。Aだからダメと言ってた人間が、Bだから(Aと正反対の属性)ダメと言ったり、Aを内包する他の作品を絶賛したり。その振る舞いが、自分で自分の批評/感想、しいては発言全ての説得力を放棄してるコトになってるのに気付いてない。「Aだから」という理由を付けてあれだけの批評をしてたお前はどこに行ったのかという恥知らずっぷり。別に理由が理由になってないじゃん。もう喋るな。

 恐らく、そうした手合いは大型掲示板のノリに感化されて「毒舌面白い! オレもやろう」という心理フローがあるのかも知れない。が、繰り返すが脱構築による罵倒は匿名に守られてる場でのみ通用する。サイトという発言者が明確な場でやっても、基準(嗜好/主観)が一貫していないコトで自己矛盾に陥りてめえの首を絞める結果にしかならない。つまりいつの間にか、「オオカミが来たぞってお前が言ってもねえ」状態になります。

 そんな脱構築ですが、悪口としてアウトプットするのではなく、優しさやユーモアとして使えば良質のテキストになるのではないだろうか。

 ていうかこれは脱構築以前の批評の姿勢です。ハリーポッターを、ファンタジー作品の歴史を交えながらマジ批評して罵倒する大人は痛い。色々な架空設定知識(オタク的な知識)を交えながら本気で(←重要)悪態付いてるのを見ると、その発言者に宇宙を感じます。別にテキストに限らず、リアル世界の会話でも。

 優しさとユーモア、この「文学部唯野教授」を読んだ時にもそれが批評/感想のもっとも有効な手法ではないかと感じました。脱構築を罵倒として出すのではなく、ユーモアとして出す。この方法論を少しずつ取り入れようと意識し、それから10年が経ちました。

 僕はその結果、バレンタインデーに数時間に及ぶ無言電話を頂く人間になりました(今までのテキスト台無しのオチ)。


2月15日(土)☆

 舞城王太郎「煙か土か食い物」読了。イカす作品だ。

*************************

映画「伊賀忍法帖」

 1982年12月公開作品。監督は斎藤光正。20年前の作品なのか。もっと古いと思っていた。先日深夜にテレビ放送されたのをビデオに撮っておいたのをようやく観ました。先日と言うか1月16日に放送されたヤツなので1ヶ月も見ないで放置してました。TVぴあの紹介によるとこうなっています。

>角川映画が薬師丸ひろ子に続く新人女優として売り出した渡辺典子がヒロインを演じる。

 誰だかよく分からないんですが、僕が知らないだけでしょう。

 山風の「伊賀忍法帖」の映画化です。色々とアレンジが加わってるのですが、僕小説のほうを忘れてるのでどこがどう変わってるのか完全には把握してません。

 おおまかなストーリー背景は、下克上にてのし上がった松永弾正が、妖術師果心居士に唆され、主家好家の姫/右京太夫を我が物にしようと画策。そのために必要な媚薬を作るべく果心居士配下の5人の妖僧に女狩りを命じる。標的となったのが、伊賀の忍者/草笛城太郎の恋人にして左京太夫の妹である篝火。篝火を失い復讐を誓う城太郎の闘いが始まる、という感じ。

 注目キャストは以下。

草笛城太郎(真田広之)

 真田広之も色々やってる人ですが、少年少女にも理解しやすいベタベタのヒーローであるこの主人公/城太郎もこなしています。主人公なのにかなり印象薄いですが。いや主人公ゆえでしょうか。

松永弾正(中尾彬)

 野心家なんだけど、この作品では果心居士の言いなりという微妙にヘタレな役ドコロの松永弾正を中尾彬が演じています。中尾、妙に若いですね。20年前じゃなくもっと古い映画と思ったのは、この中尾の若さゆえです。

水呪坊(佐藤蛾次郎)

 原作における「根来七天狗」は2人減って5人になっています。そのうちの一人を蛾次郎が演じています。蛾次郎が。蛾次郎かよ。何か存在がコミカルなので、ベテランでもこの人は使うべきではなかったと思います。

金剛坊(ストロング小林)

 この役が気に入り、ストロング小林からストロング金剛に改名したというエピソードがあります。風太郎ファンにとっては非常に気分が良くなる話です。

篝火/右京太夫/鬼火(渡辺典子)

 ヒロインの篝火はかなり序盤で死にます。『公募されたヒロインなのにこれだけかよ!』とも一瞬思ったのですが、篝火の姉/右京太夫、更に篝火の首を別の身体にすげ替えた魔性の女/鬼火としてラストまで出演。一人三役という強烈なデビュー作でした。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 忍法帖の映画化に関しては深作版「魔界転生」で良くないイメージを持ってるんですが、この斎藤光正版「伊賀忍法帖」は全体的に別に悪くない印象。原作では媚薬作成には女人の愛液が必要だったトコロを涙に変更してるあたりに、ストーリーに奉仕しない無駄なエロを排除する意識が見えます。転生衆に細川ガラシャを加えてお色気担当を無理矢理作ってた深作版「魔界転生」とはこの点でも印象が違います。

 原作との他の変更点に、果心居士の目的が明確にされてるってのが挙げられます。これも良いアレンジに思えました。原作では終始謎の存在で通した果心居士ですが、映画版ではある目的を持って行動していたコトがラストに明かされます。ベタながらも、ストーリーを殺していない、ひょっとしたら原作で語られなかった『解答』にしてもいいんじゃないだろうかと思わせるものでした。

 原作がどちらかと言うとバトル型の忍法帖なんですが、時間やバランスの関係上そこに照準があてられてないのがちょっと残念ですね。これは仕方のない部分でしょう。ストーリー型の忍法帖だったらこの斎藤光正監督はもっとバッチリな作品に仕上げてたんじゃないかな。


2月14日(金)☆

田中芳樹「マヴァール年代記」(角川文庫)

第一部 氷の玉座/第二部 雪の帝冠/第三部 炎の凱歌 以上全3冊

 実家に「アルスラーン戦記」と並んで置いてあったんですが、こちらを読みました。「アルスラーン戦記」は僕きっと一生読まないでしょう。理由は完結してないし、恐らくこれからも完結しないだろうから。僕が読んだのは角川文庫版ですが、この「マヴァール年代記」は創元推理文庫で合本全1冊バージョンが出ています。

 完結してる(もしくはする見込みがある)かどうかは、自分の中でかなり重要なポイントかも。田中芳樹作品の長編シリーズはほとんどが放置プレイ入ってるんですが、この「マヴァール年代記」は奇跡的に完結している一つです。

 内容は、氷雪の帝国/マヴァール帝国を舞台に展開される、陰謀/野心/戦乱の物語。ファンタジーの世界を創り込んで、戦争を主題に展開される作品です。架空の世界/歴史の設定が緻密ながらも物語の流れを殺してない。設定は掘り下げればもっと長く出来たでしょうが、主題を戦争に置きそちらを前面に押し出してるのが作品のカラーを明確にしています。むしろ設定を過剰に掘り下げないコトが、一見書き込みの薄い世界観背景をあれこれ想像させ、深みを出す結果にもなってます。

 登場人物はかなり大量に出てきますが、正直「駒」的要素が強く、特定人物以外はモロ捨てキャラです。登場人物の個人史や個性付けはステロタイプながらも当然あるのですが、やはりこの作品の『主役』は戦争(陰謀劇と兵法)にあります。戦記モノというジャンル自体をロクに読まない自分なので、その辺は新鮮でした。野心を秘めた策士の戦術のぶつかり合いってだけでもう好み。

 戦記モノというジャンルは全て「三国志」をベースにしてるようかに映るのですが、「三国志」はごった煮のエンターテインメントです。キャラ/歴史/兵法など、どこを読むか読み手の自由度が高いのですが、それ故に、面白さ/味わいに個人差が出るので、語ったり勧めたりする判断が意外とツラい作品だったりします。その点この「マヴァール年代記」は陰謀劇/戦闘が核となってるので、そこに面白さを見い出す人には文句なく勧められると言えよう。あ、何か偉そうですみません。特に、「三国志」挫折してるクセに引き合いに出してる辺りが。

 それにしてもホントどうしてあの田中芳樹がこれを完結させれたのか不思議。他の未完結作品って各キャラ毎に人気が出て、作者として動かし(殺し)にくくなってしまうのだろうか。「○○萌え〜!!」なんてファンレターが殺到する前に一気に書き上げるコトが出来たのかな。萌えなんて言葉当時なかっただろうけど。アンジェリナ萌え〜!


2月13日(木)☆

 板垣を持ち上げる為に何かと冨樫を引き合いに出して「プロなら休まない! プロなら休まない!」とほざかれ申してた白痴系板垣信者の動向が楽しみです。今週は作者急病の為バキ休載でした。

*************************

ウィリアム・ピーター・ブラッティ「エクソシスト」(創元推理文庫)

女優クリスの娘リーガンを突如襲う異変。ひとりでに揺れ動くベット。部屋を包む冷気。そして少女は激しく変貌し、男の声で叫ぶ。彼女に何が起きたのか? だが、汚辱に満ちた黒ミサの痕跡が教会で発見され、クリスの友人である映画監督が惨殺されるに至って、事態は《悪魔憑き》の様相を見せはじめた。クリスは神父カラスに助けを求めたが、そのときはまだ知らなかった......目の前で善と悪との闘争がはじまろうとしてることに!

 映画によって本格的に火がついた作品ですが、元々発表時にもベストセラー入りしてたんですねコレ。映画の印象強いな。つーかたいていの方はこの作品に関して背面階段歩きしか知らないでしょうね。

 ストーリーに関しても、『少女に乗り移った悪魔を神父が祓う』という大枠が知られてるだけなんじゃないでしょうか。たとえこの作品に触れたコトのない人でも、内容をきっとそう把握してるはず。僕もそう思ってました。

 ホラーというジャンルに『恐怖』を求めるのはもう諦めてる僕ですが、この作品は引き込まれるように読み進めるコトが出来ました。とは言っても『恐怖』に関しては他のホラー作品と同様微妙な読後感だったのですが、思いのほか衒学部分が多く、しかもそれが楽しめたのが収穫。

 神父カラスの造型がイイです。作品への『少女に乗り移った悪魔を神父が祓う』という漠然とした印象から、あれこれテキトーなコト言って聖水やら念仏やら唱える役割だろうと思ってたのですが、このカラス神父は精神科医でもあり、「神父様お助けを! 娘に悪魔が取り憑いてしまったのです」と助けを乞うクリスに対して、

いやぶっちゃけ悪魔なんていないですから。奥さんイイ歳して何言ってるんですか。それ多重人格か何かでしょ。(意訳)

ぐらいの返答をしてて超意外でした。クール過ぎる。イエズス会神父の態度じゃねえ。

 そんな感じで、神父が少女リーガンの変貌に対して何かしらの『医学的に合理的な解釈』を下すと、新たな様相をリーガンが見せ今までの解釈では説明が付かなくなる、そこでその新しい様相をも含めて更に別の解釈を立てる、この繰り返し部分に精神医学的な衒学が含まれてて興味深く読めました。

 もちろんホラー作品としても体裁は整ってて、ある意味背面歩きが全ての映画版とは異なり、様々な側面から観賞するに耐えうる作品です。

*************************

鮎川哲也「沈黙の函」(光文社文庫)

函館で珍しい蝋管レコードが発見された。中古レコード店の経営者が引き取りに出かけるが、彼はレコードを函館駅から発送したまま行方不明に。上野駅に到着した梱包を開いてみると、中からレコード店主の生首が...!

 裏表紙口蓋、上の引用に続けて更に『代表作「黒いトランク」に勝るとも劣らない本格推理問題作!!』とあるんですが、その辺どうなの?

 鮎哲の作風や、途中で東北の路線図が挿入されたりするんでアリバイ崩しに含まれるのかなあ。まあ、路線図は、最終的にほとんどなくても構わないラストになるのでこの辺は水増しにも見えます。丸ごとミスディレクションだったという好意的な見方も出来ますが。

 レコードに関する衒学が爆発してますね。あとがきも付けてるので作者的に語りたかったトコロなんでしょうか。あとがきはレコードというよりある女優に付いての自虐ネタなんですが。


2月12日(水)☆

《更新履歴》...バナーを作ってみました(リンクページに置いておきます)。

 流水のミステリの式は「(A+B×C)×0=0」だな。最後にゼロかけて左項と右項等しくさせる。ただの思考放棄。カッコの中幾らでも水増しできるじゃん。

*************************

岩泉舞「七つの海 岩泉舞短編集1」(JUMP COMICS)

 短編集1なんてなってるけどこれしか出てませんよね? 雑誌掲載時には作者名のワキに『北海道のミルク娘!』などと妙なアオリの付いてた記憶のある岩泉先生のコミックスです。

ふろん

 収録作の中で一番好きな作品です。これはデビュー作なのですが...よくデビュー出来たなと思わせる内容。つまらないという理由からではなく、少年漫画っぽくないから。

 感覚としては乙一作品のような、謎のシチュエーションが謎のまま終わる、でも確かに別のトコロで明確なテーマを持っているという。この『謎が謎のまま』って部分に少年漫画向けじゃないものを感じます。そしてその部分(余剰)を含んでるが故に、一番気に入ってるんですが。

忘れっぽい鬼

 作者が自作の中で一番少年誌らしさを意識して描いたという作品。鬼という存在の作中における特性などを話に絡めて読者に伝える等、2作目にしながら随分熟れてる印象。ノリが高橋留美子っぽい。ていうか絵柄もそれっぽいです。

たとえ火の中...

 「忘れっぽい鬼」とは逆にヒロインが明るいです。シリアスな終盤も、ラストにはこのヒロインの性格で救われてます。ちょっと史実を絡めたような話。それにしても...岩泉先生の作品、タイトルはイマイチですね。こんなにプロット素敵なのに。

七つの海

 少年の成長の瞬間を捉えた作品で、しかも見た目にはほんの小さな成長/だけど以後確実に大きな変化へと繋がる、そんな分かりにくい成長の瞬間を扱いつつも上手く表現し切れてるのがイイ。微妙なものを面白い肉付けで漫画にしています。ラストの女の子の目利きっぷりが作者の視点を思わせます。

COM COP/COM COP2

 シリーズもの。子連れの幽霊課刑事が主役です。テーマの選出は極めてフツーなんですが、その見せ方/演出/キャラクター造型がこの作品も素敵です。

 全作品、少女漫画の利点(主に密度)と少年漫画の利点(主にストレートさ)双方のイイトコ取りで成り立ってると感じさせるものばかりです。

 最近の少年漫画の主流とはちょっと毛色の違ったジャンルで味のある作品が読みたいなあと思ってる人になら、オススメの1冊。


2月11日(火)☆

《更新履歴》...「連城三紀彦」ファイルに「密やかな喪服」「宵待草夜情」「もうひとつの恋文」「暗色コメディ」追加。

 本日の購入漫画。

山口貴由「蛮勇引力」4巻

 完結。マリ戦がなかったので当初の想定を十全に描き切ったかどうか微妙ですが、きっとそこで出す予定だった主張も他の闘いに凝縮して組み込まれてるハズ。これはこれで体裁も整ってるしオッケー。

*************************

服部まゆみ「黒猫遁走曲」(角川文庫)

愛しい猫、可愛いメロウ、美しい、優しい......私の天使......。どれくらい捜したことか? 目につくかぎりを、思いつくかぎりの手段を講じて。
森本翠が三十八年間勤務した出版社を定年退職した日の夜、メロウは山ほどの花と薔薇色のシャンパンの隙間をぬって、戸外にはじきだされた!?
黒猫メロウの捜索と、スターを夢見る隣人の殺人事件がクロスして...。

 「古典名」+「○○曲」というタイトルは「ハムレット狂詩曲」に継承されたのかな。

 昭平、ルリ、ミドリの3者それぞれの一人称が交錯して展開する物語。妻を殺してしまいその死体の処理にてんやわんやの昭平と、黒猫捜しにマンションから双眼鏡で辺りを覗くミドリ。昭平は双眼鏡で見渡してるババアの存在に気付き、妻殺しを見られたのではないかと危惧。

 この作品は何もギミックがありませんでした。えー、正直感想も何も出てこないんですけど。読んでる最中に僕が想像した仕掛けとしては、

1:昭平の妻殺しとミドリの黒猫捜しで時間が異なっている。つまり、昭平が気付いた双眼鏡ババアはミドリとは別人で、ミドリが見た不振な振るまいを見せる男も昭平とは別人。

2:昭平の妻殺しとミドリの黒猫捜しで場所が異なっている。マンションとアパートの組み合わせが2箇所ある。

 という新本格系のトリック。あと他には、

3:ミドリは昭平の妻殺しを知っていたが、猫が大事な彼女にとって別にどうでもイイコトだった。

 なんてサイコチックなのも頭を過りました。まあ、全部はずれでしたけどね。外れなのにどうして反転させてるのかと言えば、作者がそう思わせようとした偽のオチかも知れないし、未読の人が読んだ時僕同様そのオチを予想しながら読むかも知れないからです。『ロクにオチがない』と既に一種のネタバレしちゃってますが。

 恋愛小説的なほのぼのしたムードもありますが、ぶっちゃけババアの恋愛話なんて汚いだけで楽しくなかったです。あ、ペダントリー小説(特に実名は挙げてなかったんですが「黒死館」辺り)をバカにしてるような描写があったのですが、そこは面白かったです。

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送